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前の職場の上司と互いの近況を話していたときに「いろいろうまくいっているようでよかった。でも気をつけてね。あなたは事実を言っているだけでも人によっては自慢と受け取られて嫉妬されちゃうこともあるから」と忠告されました。
私は人の話を「こんな世界があるんだ、面白いな」と聞いてしまうタチなのですが、確かに世の中にはいろんな人がいるし受け止め方もさまざまだから「なるほどな」と思いました。
別の人は「自慢にとられる話をしちゃうっていうのはある意味隙があるってことなんだよ」とも言っていました。それからは、聞かれない限りはプライベートな話はより控えるようになりました。SNSも学生時代の友人や仲のいい人限定で、そこでも余計な個人情報はさらしません。時々「他人行儀」「水くさい」と言われることもありますが、やはり余計な個人情報は出さないほうがいいですよね?
自慢と嫉妬の不毛な泥仕合…
例えば、自慢話をしてマウントをしてやろう、と思ったとして、やっぱりそれがゴリゴリの自慢話に聞こえてしまうのはちょっと恥ずかしいので、自虐を織り交ぜてプラマイゼロになるように自慢話をしたり、常識ですけどなにか? みたいなキョトン顔をしてサラッと自慢を差し込んだり、自慢を自慢と捉えられないように巧妙な細工を施して自慢をすると思うんです。
受け手のほうもあからさまに嫉妬をしてしまうのは負けを認めるようでちょっと恥ずかしいので、嫉妬なんてしていませんけどー? みたいな涼しい顔で対応したり、ムカついたとしてもいったん飲み込んで、いつか別件でたたくように恨みをストックしておいたり、嫉妬を嫉妬と悟られないように巧妙な細工を施して嫉妬をすると思うんです。
自慢をする側は自慢していることが恥ずかしい、嫉妬をしている側は嫉妬していることが恥ずかしい。
だから自慢している側は自分の自慢を隠して相手の嫉妬を暴いてやりたいし、嫉妬している側は自分の嫉妬を隠して相手の自慢を暴いてやりたい。
お互いの恥部の暴き合いという、証明する術(すべ)のない不毛な泥仕合になってしまうわけです。
何が醜いかって、自慢が醜いのではなく、嫉妬が醜いのでもなく、この決着のつけようがない、延々と平行線が続く泥仕合が醜い。
いっそのこと「自己顕示欲で自慢しちゃいました」と言ったほうが潔いのではないか、いっそのこと「劣等感で嫉妬しちゃいました」と言ったほうが潔いのではないか、自己顕示欲発祥の自慢ではなくても、劣等感発祥の嫉妬ではなくとも、先に白旗を揚げたほうが勝者になる戦いなんじゃないかと思うほど、それは双方にとって利点のない、醜い泥仕合にしかならないんですよ。
個人情報に注意するのが大人の作法
その醜い泥仕合に巻き込まれないためにも、たと事実であろうと自分の発言には自分のために注意しなければならないわけで、センシティブな個人情報はあまり自分から口外しないように、またはセンシティブな個人情報をあまり相手に求めないように努めるのが大人のコミュニケーション能力。
それでもなお、何気ない一言に傷ついたり、何気ない一言で傷つけたりしてしまうのが人間関係なのですが、それは自己を正当化するのではなく、自戒するように努めて、不毛な泥仕合を回避するのが美しい生き方なんじゃないでしょうか。
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