山崎ナオコーラさんの新刊『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)が7月10日に発売されました。ところで、「ブス」の自信の持ち方……というタイトルを見て、どう思いましたか?
劣等感を肯定してくれるの?
美人や社会への恨みつらみかな?
「ありのままのあなたでいい」と慰められる話?
そもそもブスには自信がないという前提がどうなの……?
どんな主張であっても「ブス」という言葉は使いたくない!
ちょっと想像してみるだけでもいろんな意見が出てきそうです。
誰だって、ブスと言われるのは嫌です。ブスだから~と自虐するのも嫌です。でも、「ブスって言わないようにする」だけでそのモヤモヤは解消されるのでしょうか。
ブスという言葉で人を傷つけようとする人の背景には何があるのか。ブスという罵りを許してきた社会にはどんな問題があるのか。容姿に自信がない人が傷つかずに生きるにはどうすればいいのか。
本書は、ブスという言葉を使わずには議論できないこと、考えられないことがあると気づかせてくれます。山崎さんと、ブスについてたっぷり語り合いました。
ブスの受け取り方は十人十色
——新刊『ブスの自信の持ち方』すごくおもしろかったです。誤読がないように、丁寧に言葉を尽くして書かれている印象を受けました。それだけ「ブス」という言葉が、読む人によっていろいろな捉え方をされてしまうということでしょうか?
山崎ナオコーラさん(以下、山崎):そうかもしれないですね。ブスという言葉はすごく“通りがいい”言葉なので、違う読み方をされる前に、「こういう読み方をされるかもしれませんが、ここで使うブスという言葉は、こういう意味でこういう文脈で使っています」ということを書いておきたくて。
——“通りがいい”?
山崎:例えば「結婚」って人それぞれまったく異なるイメージを持っているんですよ。それに気づいたのは、以前、結婚の話を書いたとき。人それぞれが持っている結婚のイメージで読まれちゃうかもしれないなと思ったことがあって。だから、“通りが良すぎる”言葉は注意深く扱わなければいけないと思っているんです。
——ブスという言葉から受け取るイメージには、人それぞれ濃淡がありすぎますよね。この単語を聞くだけ、見るだけでも嫌だという方もいらっしゃるので、たとえ差別的な文脈でなくても、ブスという言葉を使っただけでその記事やコンテンツは炎上しやすいです……。
山崎:それだけ嫌な思いをしている人がいっぱいいるということなんでしょうね。
——個人的には、「中の下」みたいな言葉のほうが嫌です。
山崎:自分を「中の下」と言ってしまうと、結局は容姿の基準に自分を合わせて暮らしています、という感じが出ますよね。容姿は人間の多面的な側面のひとつにすぎないのに、「中の下」と言ってしまうと、「人間としても中の下です」くらいの雰囲気がありませんか? それならブスと言い切ってしまったほうがいい気がします。「世間的にブスと言われることもあるけど、人間的には上位です!」くらいの勢いで。
「自分をブスって言っちゃダメ」って話がしたいわけではないのだが
——本書ではブスという言葉をフラットにしたいと書かれていましたよね。
山崎:私がデビューしたとき、ネットで「ブスは作家になるな」「ブスは仕事を頑張ったところで底辺」「ブスはセックスできないはずだから恋愛のことを書くな」「ブスは表に出るな」といった誹謗中傷がネットに溢れまして、周りに相談したんです。すると、「ブスって言葉を使ったらダメだよ」「自分で自分のことをブスって言ったらダメだ」といったことばかり返ってきました。
——ああ、それはきつい……。何も言えなくなります。
山崎:親切心で言ってくれているのだとはわかっているんですけど、「セカンドレイプ」のようだと思ったんですよ。相談もさせてくれないなんて。
おそらく、「自分をブスと言っちゃいけない」と主張する人には、「ブスって言われた」という話が「死にたい」とか「私はダメ人間なんだ」とかと同じ意味に聞こえるんだと思うんです。私は人間としての自信もあるし、生きる気満々なのに。
——ブスと言われたことを人間としてダメと言われたに等しいと思うからこそ、「そんなこと言っちゃいけないよ」になるんですかね。
山崎:そうでしょうね。結局「自分でブスって言うな」と言う人は、むしろ容姿を大事にしすぎているのだろうなと思います。
——ブスという言葉を封殺すれば、ブスに関する問題はなくなるのかって話ですよ。
山崎:障害者差別の問題でも、障害者という言葉を使うべきではない、となったら議論がされにくくなるわけで、悪い方向に進む恐れがあるのではないかと思うんです。ブスの話でも同じです。今日、いっぱいブスって言い合ってますけど(笑)、差別し合ってるわけじゃないですよね。フラットに使うことで、ブスの問題について語っているだけです。ブスという言葉自体が悪いのではなくて、やっぱり文脈の問題だと思います。
自分も差別してしまう人間かもしれない
——「NGだからNGなんだ」という強引なルールみたいなものを押し付けると、反発も出てきます。それで余計こじれてしまうような……。
山崎:「ルールだから『ブス』という言葉を使うな」ではなく、多くの人が差別について考えるとか、私の場合はこの言葉は使わないとか、それぞれの考え方を大事にしていくのが、実は一番の近道なのかもしれません。「ルールを決めてみんなが守りましょう」だと、むしろ逆方向にいくような気がします。
——廃絶じゃなくて改善ですよね。自分のなかの差別心にしても「100%なくさなくては!」ではなく、そういうところがある自分を自覚しつつ改善していくようにすると、ちょっと生きやすくなるのかなと思います。
山崎:100%清い社会にしようだとか、自分自身も差別しない完璧な人間になろうと思うと余計に難しくなりますよね。自分も多少は差別をしてしまう人間かもしれないということや、社会に差別はあるのだということをまず認めてから、ちょっとずつなくしていこうと思うほうが先に進めそうです。今言った言葉はよくなかったなとか、今日の自分は差別的だったかなとか、そういうことを繰り返していくしかないのかもしれないですね。
——ちなみに、差別と区別に関してはどうお考えですか? よく「差別はダメだけど区別はOK」というフレーズを聞きますが。
山崎:差別というと単純に「人を下に見ること」ととらえる人が多いと思いますが、じゃあ上に見ればいいのかというと、そうではありません。「母親は強い」とか「女性は毎日お化粧して努力してすごい」とか、そういうセリフを言って、女性を誉めているから差別ではないと堂々としている人がいますけど、これは女性差別です。
ほかにも、「障害者は清らかだ」とか「同性愛者はカッコいい」とか、そういう一見持ち上げているように見えるフレーズも、話者が差別の自覚を持っていないだけで、差別です。話者が自覚を持っていようがいまいが差別になることはあるのだから、「差別はダメだけど区別はOK」と単純にわけるのは危険だと思います。
——自分が差別的になっているか否かって、どうやったら気づくことができるんでしょう?
山崎:それは難しいですね……。やっぱり、読書をしたり、人と話し合ったりしながら、自分の考えを進めていくのがいいんじゃないですかね。
(取材・文:須田奈津妃、撮影:青木勇太、編集:安次富陽子)
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情報元リンク: ウートピ
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