DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」95回目のボヤきは「なんか対等じゃない気がする」です。
営業が主体の会社で働いています。年に1回、営業で素晴らしい結果をおさめた人を表彰するイベントもあります。私は営業ではない部署なのですが、会社の商品の企画やブランドを作る仕事をしています。ときどき「それってどうなの?」と思うのが、みんなが営業部に遠慮しているというか「うちは稼いでいる部署じゃないから意見が言えない」と考えているフシがあることです。営業から人を紹介してもらうこともあるのですが「営業部にとっても大事な人だから、くれぐれも機嫌を損ねないようにね」と言われます。稼いでいる人が評価されるのは当然だと思うのですが、だからと言って変に萎縮したり、遠慮したりするのは窮屈というか、対等ではないなと思ってしまいます。
仕事で「気を遣う」ということ
「気を遣う」って、結構なエネルギーを消費するものなんですよね。
相手の一挙手一投足を観察したり、慎重に言葉を選んだり、気を遣わせないように気を遣ったり、気遣いというものはメンタル的なエネルギーをごっそり消費するものなんですよ。
メンタル的なエネルギーの源泉とは「気持ちの余裕」になるわけですが、気遣いに使用したメンタル的なエネルギーは、気遣いをした相手にメンタル的なエネルギーを供給することであり、気遣いをされたほうはそのエネルギー分の「気持ちの余裕」が生じるんですよね。
そして多くの人はそのエネルギーをもらいっ放しにせず、リターンとして気遣いでお返しするわけです。
「あなたのお陰で仕事が成り立っています、いつもありがとうございます」という気遣いに対して「そんなことないですよ、あなたのお陰で気持ちよく仕事ができています、こちらこそありがとうございます」と気遣いでお返しするわけですね。
これで「対等」という立場ができあがるわけです。
「対等」というのは気を遣わない関係ではないということ、お互いに気遣い合い、尊重し合うことで対等な立場になれるんですよ。
そのための礼儀としてまずは下の立場の者が上の立場の者に気を遣うことは当たり前。捧げることをしなければ戻ってくるものもありません。
気遣いをしなければ、相手も気遣いをすることはないでしょう。
それはそれで対等な立場になるわけですが、お互いを尊重し合う対等は親和になりますが、お互いを尊重しない対等は戦争になってしまいます。
戦争になったら「対等」という名のリングの上で戦わなければならなくなってしまいますので、実力の伴わない下の立場の者が必敗必至になってしまうんですよ。
媚びる必要はないけれど…
萎縮したり遠慮したり媚びたりする必要は一切ありませんが、気を遣う労力を捧げるのは人として当たり前の行為だと思ってください。
気遣いの必要のない人間関係なんて幻想でしかありません、すべての人間関係は気遣いで繋がっているのです。
気遣いをナメないように。
気を遣ってあげていい気分で踏ん反り返っているだけの輩ならそれまでのこと。
「器の小せえ奴だな」と心中で蔑んでいればいいだけのことですよ。
まず気遣いをしなければ、その人の器の大きさもわからないってことさ。
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情報元リンク: ウートピ
なぜ「気遣い」が必要なの?…対等な人間関係を築くために必要なこと【DJあおい】