【今週のボヤき】
「私がいないと!」と思っている同僚がいるのですが、ときどきウザいなって思っちゃいます。先日、彼女が夏休みを取りました。彼女が不在の間はいるメンバーだけで仕事を回していたのですが、休み中にも「何事も起こっていない? 大丈夫?」とラインしてきたので思わず「休み中はちゃんと休んで!」と強めに言ってしまいました。休み明けに出勤してきたときも「本当に何も起こらなかった? 私がいなくても大丈夫だった?」とずっと心配していました。
「何事もなかったのはあなたが休み前にちゃんと準備をしてくれていたおかげだよ」と伝えたのですが、どこか寂しそうでした。もしかしたら彼女は「あなたがいないと仕事が回りません」と言われたほうがうれしいのかもしれません。
私は彼女のカウンセラーではないので内面的な部分に立ち入るつもりはないのですが、誰かに必要とされたい、認められたい気持ちが強すぎるというか、仕事に自分の全存在をかける彼女を見ていると何だか苦しくなります。見守るのがよいのでしょうか?
健全な人間関係って…
誰かに助けてもらいたい、誰かに喜ばせてもらいたい、と他者に求める気持ちが強いことを「依存」と呼ぶのですが、
誰かを助けてあげたい、誰かを喜ばせてあげたい、と他者に与えようとする気持ちが強いことを「共依存」と呼びます。
他者を助ける気持ちや支える気持ちがあることは、人として素晴らしいことではあるのですが、それも度を越してしまうと、他者から必要とされることに快楽を覚えてしまうことになり、その快楽に依存してしまうことを「共依存」と呼ぶわけですね。
依存者と共依存者は凹と凸のように相性の良い関係であり、依存者は共依存者を求め、共依存者は依存者を求めてしまうわけですが、依存者はその快楽と引き換えに自立心を失い、共依存者はその快楽と引き換えに自己犠牲でボロボロになってしまうという地獄の関係にしかなりません。
健全な人間関係というものは依存も共依存も存在しない関係であり、そのためにはお互いの自尊心がある程度の水準に達していなければならないもの。
「あなたがいなければ」と他者に依存する人も、「私がいなければ」と他者に共依存してしまう人も、自尊心が足りていないことが大きな要因ですね。
精神的なソーシャルディスタンスを保とう
ある程度の立場になると、人材を育成することも大事な仕事の一環になるわけですが、そのコンセプトは自立をしてもらうこと。
自立をしてもらうために助言をして、自立をしてもらうために助力をしているわけですから、自分がいなくても問題なく仕事をしてくれることは本来喜ばしいこと。
巣立つひな鳥を見守る親鳥のような一抹の寂しさはありますが、自分の役目を完遂した充実感のほうが大きいはずです。
ですが共依存者は満たされない自尊心の埋め合わせとなる共依存先を失ってしまうわけですから、喜びよりも寂しさのほうが勝ってしまうわけです。
だから彼等彼女等は執拗に「私がいなければ」と共依存させてくれる場所を死守しようとするわけですね。
過度の世話焼き、過干渉、「あなたのためを思って」が口癖、そんな特徴があるので健全な自立心を持った人から見れば若干(というか大分)暑苦しい存在に感じるでしょう。
攻撃性の高い共依存者は無理やり他者を価値なき者に仕立て上げ、自分に依存させるように仕向けることもあるので注意が必要。
精神的なソーシャルディスタンスを上手に保ち、自分の間合いに入らせないように心掛けてください。
少し無関心を装うくらいでちょうどいいのかもしれません。
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