今の人生に行き詰まりを感じた時、ふと過去の自分と比べてしまうことはありませんか? 若かった、何かに夢中だった、今よりもずっと世間知らずだったけど必死に成長しようとしていた——。
元SDN48の大木亜希子さんは、初の著書『アイドル、やめました。 AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)の序文で、2011年の大晦日に紅白歌合戦に出演したシーンを書いています。そして、同日電車に乗って帰宅したことも。
グループ卒業後、会社員を経てフリーライターに転身した29歳の大木さん。しかし“元アイドル”の十字架が重くのしかかってくることもあったそう。そこで、同じく48グループ出身メンバーの「アイドル後の人生」を聞くことで、過去への未練を成仏させようとします。書籍に書かれていない取材時のエピソードや、元アイドルという呪縛から逃れられた理由を大木さんに取材しました。
2回目の今回は、取材時のエピソードなど執筆時の裏話や考えていたことを紹介します。
48グループにこだわった理由は「信頼関係」
——前回、一説によるとアイドル経験のある女性の総人口は1万人近いとおっしゃっていました。それだけ、アイドルにもいろいろありますが、大木さんは、なぜ48グループへの取材にこだわったのでしょうか?
大木亜希子さん(以下、大木):書籍を書く上で私が重視していたのは、「正しく伝えること」でした。48グループなら自分も在籍していたので、取材相手の心情を理解しながら話を聞くことができ、また相手も安心して本音を話せると思ったんです。
それに、48グループには独自の文化があります。例えば、選抜システムや握手会、自分で考案する自己紹介のキャッチフレーズなど。そういう特殊な環境で鍛えられてきた経験が、その後の人生にどう影響しているのか、正確に伝えたいという思いもありました。
——本書では8人のセカンドキャリアが掲載されていますが、取材は何人くらいにアポイントをとったんですか?
大木:48グループ出身者のその後を100人ほど調べて、特に興味深い職業に就いている12〜13人にしぼり、最終的に8人に決めました。
——100人!そのなかで「絶対に取材したい!」っていう相手はいましたか?
大木:みなさんとても興味深い人生を歩まれているのですが、SKE48を卒業して保育士になった藤本美月さんはぜひ会いたいなと思いましたね。
グループ内でアイドルから保育士になった人が誰もいないなか、藤本さんだからこそ保育士という英断ができたのか、もしくはアイドル時代の経験がそういう決断をさせたのか、気になって。
実際に会ってお話をしてみると、人並み以上の覚悟をされていたことがわかり、園児たちと楽しそうに話している姿も印象的でした。
8人それぞれの覚悟のグラデーション
——最初に取材をしたのはどなたでしたか?
大木:私と同じSDN48出身で、卒業後は振付師になった三ツ井裕美さんです。選抜システムについて当時どう思っていたかを聞くと、「総合的な人気やルックスを含めると、私はセンターになれると思っていなかった」とはっきり言われました。
一緒に闘ってきた三ツ井さんでさえ、私が想像しえなかった悔しさや後悔を感じていると知り、「これは本として面白いものになる!」っていう確信が生まれましたね。
——その後、取材の回数を重ねていくうちに何か感じるものはありましたか?
大木:一人ひとり、覚悟のグラデーションが違うと思いました。元AKBCafeっ娘で女性バーテンダーになった小栗絵里加さんが「AKBになっていたら違う人生があったと思う」と消化しきれなかった思いを口にしている一方で、大手広告代理店に内定が決まった元SKE48の菅なな子さんは「もう一切アイドルに興味はない」と言い、SKE時代の自分を完全に過去のものとして捉えていました。
——アイドルとして同じように生きてきたけれど、実は全く別のものを見ていたということでしょうか?
大木:アイドルは一つの商流のなかでシステム化されているので、みんな同じようにベルトコンベアの上に乗ってしまいがちなところはあると思います。目的地まで同じように見えるというか……。でも、私たちは人間なので感情があり、見ているもの卒業後はそれぞれの人生を生きていかないといけない。そこに人生のドラマがあると感じました。
笑顔の裏に隠していた悔しさ
——原稿を書くときに聴いていた歌があるそうですね。
大木:King Gnuさんの『白日』という歌を聴いていました。キラキラした衣装を着てステージに立っても、笑顔の裏では怨念や憎しみを感じてしまう自分もいる。努力を重ねてもファンの期待に応えられない日もある。そんな元アイドルのリアルな姿が、「知らず知らずのうちに傷つけてしまったり」という内容の歌詞とリンクするような気がしたんです。
——怨念や憎しみっていうのは、何に対して?
大木:一流の衣装さんに服を用意してもらって、素敵なヘアメイクさんに整えてもらって、それでもなお人気に差が出てしまう状況に対してですね。なぜ自分じゃないのだろう、あの子はもっと評価されてもいいはずなのに……なぜ、なぜ、と。
でも、どんなに報われない状況であっても、怨念を抱えながら最善を尽くして生きていかなきゃいけない。過去と地続きになっている現在を歩まないといけない。一連の取材を経て感じたのは、私がこれまでに経験してきた劣等感や嫉妬は、なにものにも代えがたい人生の大切な1ページだということ。今のために過去があるのかもしれないなと思えるようになりました。
次回は7月10日(水)公開予定です。
(取材・文:華井由利奈、撮影:面川雄大、編集:安次富陽子)
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情報元リンク: ウートピ
それでも、過去と地続きの今を生きなきゃいけない【アイドル、やめました。】