2度目のUターン転職を経て、地元のロケットベンチャー企業で働く中神美佳(なかがみ・みか)さん。もともとは大学進学で上京し、都会の大企業に就職しました。でも、帰省するたび過疎化する地元のために、29歳でUターン。役場の委嘱として地域活性化に貢献する「地域おこし協力隊」となりました。
ところが、協力隊で3年ほど働いたすえ「もっとスキルを磨かなければ、これ以上地元に貢献できない」と思うように。武者修行のためにふたたび東京で就職し、地元&神奈川の二拠点生活をはじめました。
前後編記事の後編では、二拠点生活のメリット・デメリットや、その先で見えたものについてうかがっています。
地元のために、また東京へ出ようと思った
——「地域おこし協力隊」の任期を終え、本当なら本腰を入れて地域で働き出すタイミング。中神さんが、ふたたび地元を出る選択をしたのはどうしてですか?
中神美佳さん(以下、中神):Uターンして3年経つころには、地域おこし協力隊だけでなく起業もしていて、地域貢献に関するいろんな企画を手掛けていました。でも、自分のスキルを切り売りしている感覚も強くて……このままだと成長が止まってしまうと感じたんです。地元をもっと盛り上げていくためには、私自身もレベルアップしないといけない。とくに、地方を魅力的にPRしたり、コンテンツそのものを創り出すための企画力を磨く必要がありました。それで就職を決めたのが、企画に強い株式会社スマイルズの広報です。だけど地域の仕事も並行してやるために、二拠点生活で複業という形をとりました。
——「二拠点」「複業」とはいえ、せっかくUターンしてきたはずの中神さんがまた都会に出ることに、周りの目はいかがでしたか?
中神:一緒に働いてきた仲間は少しさみしそうにしていました。地域の方のなかにも、もしかしたら「結局また都会に行くのかよ」と思った方がいたかもしれません。でも、これは上京じゃなくて、地域に還元するスキルを磨くステップ。かならずまた戻ってきて地元のために働くことを、周りに伝えるようにしていました。
お金と体力を圧迫した二拠点複業
——北海道・大樹町で地域の仕事、東京でスマイルズの広報。二足の草鞋を履く生活はいかがでしたか?
中神:まず、地域と都会の仕事を掛け持ちしているおかげで、退屈しませんでした。田舎の仕事だけだと進むのが遅くてイライラしてしまうことがあるけれど、複業だとその間にほかの仕事があるから、結果的にほどよいスピード感で働ける。これは二拠点複業をしている経営者の先輩から教わったメリットで、私も実感しました(笑)。3年かけて開拓した地域とのつながりを絶やさずにいられたのも、すごくよかったですね。
——地元を出て身につけたかったスキルは、得られましたか?
中神:アイデアの発想法や課題を解決する企画術など、学びたいことを学べたと思います。30歳を過ぎて、まったく未経験の広報をやらせていただけたのは、とてもいい経験でした。でも、リソースや時間はどうしても分散せざるを得ないから、その申し訳なさはずっと消えなかったですね。ただ、十勝のシティプロモーションの仕事をスマイルズで受託するなど、地元からスマイルズに還元できることもありました。
——リソースの分散は、複業の避けられない苦しみですね。ほかにデメリットはありましたか?
中神:単純に資金と体力がきつかったです。東京での生活費が11万円、地元への移動費が6万円。複業の収入があったからなんとかなっていたけれど、毎月約17万円が自腹で消えていくのは、やっぱりつらかったですね。平日は東京で働いて、隔週土曜の朝に北海道へ帰り、週末は地元の仕事をして、月曜の朝また東京に戻ってくる……みたいなライフスタイルで疲れがたまり、体調を崩してしまいました。「華々しい二拠点生活」なんて思っていたけれど、体力も気力もけた外れにある人じゃないと、実現は難しいんじゃないかな……。残念ながら、私にはできませんでした。
——体調を崩されて、その後はどうしたんでしょうか。
中神:会社への申し訳なさで消えてしまいそうになったけれど、一週間くらい休んだ後、気持ちを切り替えて「これからしたい働き方」をプレゼンしました。自分が選んだ道だし、大好きな会社だからこそ、これ以上の迷惑はかけたくない。だから「週4勤務のリモートワーク」「翌年には再度Uターン」などと現実的にできそうな働き方を、素直に話してみたんです。そうしたら、前例がない働き方だったのに「中神さんの働き方が会社の可能性を広げるから」とあたたかく受け入れてもらえて……。翌年に退職をするまで、負担を減らしながら複業を続けることができました。その働き方はいま、コロナでリモートワークが増えてからのルール作りなどにも活かされているんです。
回り道したおかげで、一番楽しいいまがある
——二拠点生活を経て、2019年に二度目のUターン。いまは、地元で何をしているんですか?
中神:しばらくはそれまでどおり複業を続けていましたが、2020年夏からは、インターステラテクノロジズ(IST)という宇宙ベンチャーで働いています。スマイルズも続けたかったけれど、いま自分の力で最大限に地域貢献するには、地元で頑張っているISTに全力投球すべきだと思いました。それに、宇宙産業は黎明期を迎えていて、いまがとても大切な時期。産業が立ち上がるという貴重なタイミングで、スタートアップに身を置けるなんて、本当に面白いですよね。しかも、それがたまたま地元でできるという幸運! 世界中のロケットを商業的に打ち上げるスペースポートを、大樹町につくろうという計画まであるんですよ。
——ワクワクします! 中神さんはISTで、どんな貢献ができていますか?
中神:専任の広報がいなかったので、まずは広報をやっていましたが、そこからBizDev、人事や採用など領域を広げています。ベンチャーだけに守備範囲は幅広くて、これまで培ってきたマーケティングやブランディングなどの経験を、総動員できているんです。そして、ISTのロケット事業が軌道に乗り、宇宙と大樹町が近くなることは、地域おこしにもしっかりつながっている。いまは自分が心底打ち込める仕事と地域振興を両立できている、これまでで一番幸せな状態です。
——Uターンからの地域おこし協力隊、二拠点複業からの体調不良や二度目のUターンなど、試行錯誤を重ねてきた中神さん。多くの経験を経て、仕事や暮らし、地元への向き合い方は変わりましたか?
中神:自分の“身の丈”がわかって、変に無理をしなくなりました。欲張りすぎるとどこにもコミットできないし、私の場合は心身ももちません。だから全部を手に入れようとするのを辞めたら、ISTに出会って……そこには、やれることもやりたいことも、一緒に働きたい人も、全部がありました。回り道したおかげで、ベストなところまで来られたと感じています。……じつは、ついに地元で家も建てたんですよ。いままでも地域のために動きたいと思っていたけれど、ようやく心の底から、ここに根を張ろうという気持ちになれたんだと思います。
(取材・文:菅原さくら、編集:安次富陽子)
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情報元リンク: ウートピ
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