2018年になっても、私たちをとりまく環境は何かと騒がしい——。それは、私たちが常に今を生きていて「これまで」と「これから」の間で葛藤を繰り返しているからなのかもしれません。
その葛藤や分岐点とどう向き合うべきか。エッセイストの河崎環さんに考察していただく連載「5分でわかる女子的社会論・私たちは、変わろうとしている」が今回からスタートします。
第1回は、「お茶の水女子大学、トランスジェンダー学生を受け入れ」のニュースから、私たちの分岐点について考えました。
いい時代になったねと思えたなら素敵
女子や3浪以上の男子に事実上の入試ハンディを課していたことが判明した、東京医科大の一連の入試スキャンダル。「女性差別だ!」「いや、女性特有のキャリア休止・減速期を考えれば人手不足の医学界にとって当然の自衛なんだ」「女性はいろいろ制約があるから差別じゃなくて区別だ医療従事者なら常識だ」「ハア? 何が区別だ。女性医師のほうが能力やパフォーマンスは高いんだぞ論文読め」「いやもう男子のほうがとか女子のほうがとか比較視線に固定するのいい加減やめませんか」など喧(かまびす)しい夏でしたね。
東京医科大がどうこうという話の出る少し前に、日本の女子大最難関のお茶の水女子大学が「戸籍上男性であっても性自認が女性であるトランスジェンダー学生」の受け入れを発表し、話題になりました。津田塾大や奈良女子大、東京女子大、日本女子大なども後に続く動きを見せています。
女子受験生の合格一律抑制フィルターを「必要悪」と悪びれもせずに設ける医大もあれば、男性であっても心が女性ならどうぞいらっしゃいと門戸を開く女子大ありということです。
さて、皆さんは、女子大にトランスジェンダーの学生が入学できるようになると聞いて、どう感じたでしょうか。「いいね、いい時代になったね」と素直に思えたなら素敵です。「ほら俺は/私はこういう話題にも『理解』があるんだよ」と複雑にねじれた正義面をしない人が、もっともっと加速して増えればいいと思います。
知らないゆえの不安反応が起こることがあっても…
でも、「そうは言っても体はまだ男性なんでしょ? どう付き合えばいいのか反応に困る」「トランスジェンダーって本人の主観でしょ? 悪用して女子大に潜り込む男がいるんじゃない?」そんなちょっと意地の悪い考えがよぎったとしても、それはトランスジェンダーの人を自分の周りで見たことがない、知らないがゆえの不安反応なのかもしれません。
実際、男性ではそういう考えを冗談の延長くらいの意識で、「おっ、じゃあ俺も来年お茶大受けて女子大生に囲まれよう」なんて披露する人もたくさんいました。その代表例が、この件に関する作家の百田尚樹さんの悪名高いツイート、「よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!」ですね。
そう、男だろうが女だろうが、こと本人がシスジェンダー(心と体の性が一致し、生まれながらの性に違和感のない人)である限り、トランスジェンダー(心と体の性が逆の人。それに苦しむのが性同一性障害である)の葛藤を想像できかねてしまい、要するに同性愛者でしょとか、女装する男性でしょとか、わかった気になってしまいがちです。違います。トランスジェンダーは心と体の性が逆の状態を指すのであって、恋愛の志向性のことではないんです。
ですから、体が男性で、心が女性で、装いが女性的で、恋愛対象は女性ということもあり得るのです。今年1月にNHKのドラマ10枠で放映された『女子的生活』(全4回)が大きな反響を呼びましたが、志尊淳さん演じる主人公みきがまさにその「恋愛対象が女性の、トランスジェンダー」でした。メディアでは志尊淳さんの「女装」姿が写真とともに大きく取り上げられ、視聴者からは「キレイ」「私本当の女だけど、負けた」なんてコメントが多かったように思います。
でもそのファッションや仕草は決して男性が思い描くような、戯画化され、しなを作った「女性」ではありませんでした。そして、自らもトランスジェンダーである西原さつきさんの演技指導によって、志尊さんはリアルなトランスジェンダーの心理と身体を本当にハイレベルに演じ切ったのでした。
私自身にもまだまだ偏見があった
でもそれ以上に、私は「トランスジェンダー女子で、恋愛対象が女性」というみきのキャラクター設定に、小説原作者、坂木司さんの「描く人としてのこころ」を見て、感じ入りました。日常的に女性の装いをする「体は男性だけど心は女性」のトランスジェンダー女性が、だからと言って全員男性を恋愛対象とするわけではない。それさえもすでに私たちの思い込みなわけです。
(シスジェンダー)女性の中に女性を愛する同性愛者が当たり前にいるように、トランスジェンダー女性の中にも女性を恋愛対象とする人がいるのだと、坂木さんは性やジェンダーの複雑さを複雑に見せずに、みごとにポップなキャラクターとして描き出すことに成功していました。そしてその坂木さんが男性であることにどこか感動してしまった私自身にも、まだまだ偏見があると思い知らされました。
NHK ドラマ10『女子的生活』の公式HP(2018年8月31日で閉鎖)では、主人公みき役・志尊淳さんのコメントが掲載されていました。
トランスジェンダー女子「みき」を演じるにあたり、まずは女性になるという事をしっかりと意識し、外見の面では表情の作り方、所作、歩き方、体型の維持、肌のケアも入念に行い、女性として生きるということに徹しました。男性として無自覚に生きてきたこれまでの自分にとっては想像以上に困難な作業でした。その過程は、内に秘めている女性性を探すという作業でもあり、自分とは何か他者とは何かを考えるまでに至りました。今までアタマでしか分かろうとしていなかったことが、実感として分かったことは大きかったです。
好きなものを好きと言う。なりたい自分になる。違いを認め合う。今を大切に生きる。誰でも人を愛する気持ちは同じく尊く、他者を想うことによって人は成長出来る。この作品に込められたメッセージを「みき」の生き様を通して、伝えることができればと思っています。
NHK ドラマ10『女子的生活』の公式HPより(2018年8月31日で閉鎖)
いろいろな女性、いろいろな私たち
そしてもう一つ、私たちが忘れてはいけないのは、心が女性のトランスジェンダー女子にも私たちと全く同じように、様々な個性、様々なファション、様々なスタンス、様々な自己肯定感があるのだということ。みんながみんな美しい仕草や女装の術を身につけた人ばかりと思い込むのは、ドラマの影響です。その勝手な唯一のイメージを押し付けてはいけない。明白な女装をしない人もいる。決してフェミニンという印象ばかりではない人もいる。でも、「心は女性」、だから女子大で学びたいと思う人もいる。彼女たちは、いろいろな私たちと同じ、いろいろな女性なんです。
日本ではお茶の水女子大が口火を切る形で始まる、トランスジェンダー女性の受け入れ。もともとはアメリカの、同じように有名な女子大リーグでの運動がありました。逆に、「体は女性で心は男性」のトランスジェンダー男性も、もちろん世の中にたくさんいます。そして彼らが恋愛対象とするのが女性なのか男性なのかだって、個々人それぞれです。
それは「不安」「怖い」ですか? ひるがえって、シスジェンダー(心身の性に違和感がない)でヘテロセクシュアル(男性なら女性を、女性なら男性を、つまり異性を恋愛対象とする)なら、誰もがノーダウトでそんなに立派で安心ですか?
それは、現実に知らないだけ、想像力を使えていないだけ、人間の多面的な魅力——深さと複雑さと怖さと素晴らしさ——を、まだ知らないだけかもしれない。女子大学は、人間観の深さという点で、十分に最高学府と呼ばれるに足る哲学を持ち得た本当のアカデミアであることを証明したのかもしれません。
本日の参考文献:『女子的生活』坂木司(新潮社)
(河崎 環)
- 「生きづらさは自分の努力不足だと思ってた」彼女が優先順位を変えた理由
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情報元リンク: ウートピ
お茶の水女子大学の決断で気づかされた、自分の中の偏見