勉強しかしてこなかった親友同士の女子高生が卒業式前夜に突如覚醒し、青春を取り戻すためにこれまで見下してきたクラスメートのパーティーに乗り込む一夜を描いた青春コメディ『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』が公開中です。
この映画で長編監督デビューを果たしたオリヴィア・ワイルドが「ダサい女の子たちがおしゃれして、人気者になろうとする映画じゃない。これは友情の物語」と言い切る通り、モリー(ビーニー・フェルドスタイン)とエイミー(ケイトリン・デヴァー)の友情を軸に物語は進みます。
そこで、映画と音楽が大好きで、普段は会社員として働く傍ら自分が感じたことや思ったことを自分の言葉でつづり、そのリアルで率直な文章が多くの人の支持と共感を得ているライターのあたそさんに寄稿いただきました。
Contents
「私の親友の悪口は許さない」モリーとエイミーの友情
映画のオープニングは、モリーを迎えにきたエイミーがロボットダンスをしながら「やっと会えたね」「1日ぶりに」なんて、きっと2人の間ではお決まりなのであろうジョークを言いながら学校へ向かう“モーニングルーティン”からスタートする。
このシーンを見たとき、私は単純に2人が羨ましいと思った。パーティー用の洒落(しゃれ)た服装に着替えたあと、互いに見せ合いながら「こんな美人、許せない!」「私を夢中にさせるなんて許せない!」とじゃれ合うシーンや、「こんな性格ブス、彼の眼中にない」と卑下するモリーの頬を叩き、「私の親友の悪口は許さない」とエイミーが真っ直ぐに言うシーンにはなんだか泣きそうになってしまった。
馬鹿げたやりとりをこんなにもノリノリでやってくれる人や自分のことを「最高の存在」だと認めてくれる人って、人生のうちであと何人くらい見つけられるのだろう。少なくとも、私の失敗してしまった(ような気がしている)学生生活では決して得ることのできなかった友人関係だったように思う。
中学や高校などの学校生活と言えば、恋愛や部活とその時にしかできないこともたくさんあるが、大切な友達を作ることだってかなり重要だ。学生時代を描いた作品を見ると、自分の思い出を振り返って後悔することが私には多々ある。2人のように、なんでも言い合えて、お互いの恥ずかしい過去も互いに知っていて、時には本気で喧嘩をしても許すことができる……そういう絶対的な友情関係が私にもあったとしたら、もう少し違ったスクールライフを送ることができたのだろうか。やはり、自分の学生時代を振り返ると、沸々と後悔の念がわいてくる。
モブに過ぎなかったクラスメートが大事な友人に変わる瞬間
タイトルになっている『Booksmart』という単語には、「知識はあるが、経験はない様子」とか「実践に乏しい人」という意味で使われるらしい。要は、ガリ勉でちょっと残念で、といったマイナスな意味で使われることが多いようだ。
つまり、この映画の主人公であり、4年間という貴重な学生生活のすべてを勉学に費やして過ごした、モリーとエイミーの2人のことを指す。ちなみに、生徒会長のモリーはイェール大学に進学して史上最年少で最高裁判事就任を目指し、エイミーはコロンビア大学へ入学する前にボツワナで女性たちを助けるボランティアに従事することを決めている。
確かに、クラスメートたちからすれば、モリーとエイミーの2人は真面目で、頭でっかちで、融通が利かなくて、とっつきにくくて、おばさん臭い。ちょっと厄介な存在として描かれているのだが、2人にとって高校生活は未来の栄光を掴(つか)むための通過点にすぎなく、常に正しく真面目に勉学を続けることが大切であった。恋愛やくだらないことにうつつを抜かし、どうせロクな大学に行けないクラスメートにどう思われたって関係ない。何よりお互いに理解し合える親友もいる。
しかし、蓋を開けてみれば、遊びほうけていた連中もイェール、ハーバード、Googleと自分と同等かそれ以上に輝かしい未来を手にしようとしている。私は毎日努力をして勉強しかしてこなかったのに……? あり得ない! 呼ばれていないパーティーに潜り込んで、一晩で全部取り戻すんだからな!
……と、笑ってしまいそうになりつつも、後に引き返せないのもなんとなく理解できる理由によってストーリーは進み、街中を駆け回ることになるのだが、このパーティーに参加したことが、お互いにたった2人しか存在しなかった狭い世界が広がっていくきっかけになったのだと思う。
ただの金持ちのボンボンだと思っていたジャレットとジジは、実はユニークで優しくて友達思い。いつも男と一緒で軽薄だと思っていたトリプルAも女子との関係性で思い悩んでいた。あれだけクラスメートを見下していたはずなのに、卒業式前夜に初めてじっくり話をしたことで新たな一面が見えて距離を縮める。自分たちの輝かしい未来には無関係のモブに過ぎなかった彼らがいつの間にか大切な同級生へと変化していく。
「私は異性が好きなんだよね」というカミングアウト
喧嘩だってする。これだけ同じ月日を過ごしていたにも関わらず、お互いに言えなかったこと―モリーの場合は片想い、エイミーの場合は自分の進路にあたる―を言い合い、人目もはばからずに思いっきり口論を繰り広げる。それでも2人は親友だ。どれだけすれ違い、頭に来ていたって、心から許すことができる。やっぱり2人の関係性が心底羨ましい。
また、エイミーの性的嗜好にも少し触れておきたい。2年前にクイアであることをカミングアウト済みのエイミーは、ほとんど接点を持ててこなかった、ライアンに片想いをしている。自分のことには消極的で、いつも見ているだけで挨拶するにも精一杯。きっとモリーに背中を押され、パーティーに引っ張られて来なければ、2人で話をすることも距離を縮めることもなかったはずだ。
ライアンは、私のことを好きになってくれるのだろうか。どうしたらもっと話ができるんだろう。そもそも、女の子に興味はあるんだろうか。好きな人に好きになってもらいたい。親しくなりたい。触りたい。好意を寄せる気持ちを表現する描写が、青臭くてくすぐったい。
モリーがエイミーに対して「私は異性が好きなんだよね」とカミングアウトをするシーンにも驚かされたが、エイミーのカミングアウトについてはスポットが当たっておらず、“当たり前”のこととして描かれているのも今っぽい。
この映画において、どんな恋愛にも好意にも性別にも“特別”はない。常に平等だ。意図的な配慮ではあるのだろうが、人種や容姿、体型、性的嗜好関係なく、登場人物全員に対して等しく未来があるように描かれていることに希望を感じられた。それが普通であってほしいけれど。
“失敗”ばかりの学生時代だったけれど…
いつもより肩の力を抜いて、勇気を出すだけで、人生は少しずつ変化していくのだと思う。クラスメートに“ブックスマート”ではなく面白い人間だと思い知らすことができたうえに、最高のヒーローにまで登りつめた2人は、大人になってからこの忘れられない夜をどんな風に振り返るのだろう。
大人になると、色々なものが変化していく。一度、BFF(Best Friend Forever)から離れ、異なる大学に進学し、各自の夢に向かって突き進んでいく2人の仲が、今後同じように続いていくとは限らない。それでも、会うたびに卒業式の前夜で起こった事件の話をし、笑い合い、何度だってあの頃のなんでも話せる親友同士に戻っていくはずだ。
10代の頃の狭い世界で生まれる悩みや葛藤なんて、今思い返せばくだらなくてどうしようもないことばかりだった気がする。それでもあの事は真剣に悩んでいたし、どうすればいいのかわからなかった。この世界で私だけが不完全で、いつまでも子どもで、不幸なんじゃないか? と思うことだって何度もあった。
そう感じていたのは私だけではなかったし、間違ったことや後悔したことも、あの貴重な時代に得られた大切な経験なのだと思う。
この映画は、モリーやエミリーが学生時代に誰しもがぶち当たる青春時代のしょうもなさに真剣に向き合い、真正面から体当たりし、そして苦い思い出すらも肯定してくれるような作品なのだと思う。102分という短い時間にも関わらず、テンポよく笑わせられながらも、エンドロールを見終えたあとは、自分の失敗してしまった学生時代を振り返りつつ、「でも、これでよかったのかもな」と温かな気持ちにさせてくれた。
■映画情報
『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』絶賛公開中
【クレジット】 (C)2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All Rights Reserved.
【配給】ロングライド
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情報元リンク: ウートピ
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