漫画家・ふみふみこさんの半自伝的漫画『愛と呪い』(新潮社)の最終巻が11月9日に発売されました。同書の電子版には『1122』(講談社)の著者・渡辺ペコさんとの対談が掲載されています。
『愛と呪い』で父親からの性的虐待や宗教にのめり込む家族の中で育った女性を描いたふみさんと、『1122』でセックスレスの解決案として公認不倫を行うという30代の夫婦を描いている渡辺さん。二人の作品を読むと“家族”のあり方について改めて考えさせられます。お二人の対談を、前後編に分けてお届けします。
最初は「済んだこと」として描こうと思っていた(ふみ)
渡辺:1巻から『愛と呪い』を読ませていただいてきて、この3巻のドライブ感に驚いたんです。これまで、ふみさんは現実と距離をとって世界を作り上げて行くタイプの漫画家さんだと思っていて、それは愛子ちゃんの少女時代が描かれた1巻の印象でもあったのですが、進むにつれて物語がふみさんご自身にも読者にも近いところにどんどん迫ってくるようでした。
3巻は「決着をつけて乗り越える」ストーリーで、大人になった愛子ちゃんの隣に行きたいなと思いながら読んでいました。
ふみ:ありがとうございます。この作品は“半自伝”みたいな形で家族やこれまでのことを描きましたが、描きながら自分の感情がすごく変わっていくのに戸惑いました。
最初は「済んだこと」として描こうと思っていたんですよ。1990年代の少女だった愛子が2010年代の大人になって、親や宗教や自分を取り巻く社会のあり方が辛くて物語の世界に引きこもった彼女を、それぞれの時代背景とともに現在の彼女が見つめ直すというような。
だから絵柄も、最初は淡いタッチから始まって、心の距離が近くなるとだんだんリアルな線にしていって……みたいなことは決めていたんですけど、大人になった愛子にとって問題はそれほど「済んで」なかったです(笑)。
渡辺:描き始めた当初はどんな構想だったんですか?
ふみ:最初は「こんな育て方すると、こんな人間になるんだぞ思い知れ!」みたいな恨み節(笑)。でも、描きながらだんだんとそれが消化されて、あれ? 自分はこれまで、本当は何を求めてきたんだろうというような。
ラストシーンに近いところで、愛子が母親に対して「もうあなたを殺したいとは思わないよ」と心の中で語りかけるんですけど、たとえば描き始めた頃のイメージのままなら、あそこは「まだ殺したいと思っているよ」になったかもしれません。
渡辺:私はそこがすごくよかったです。人の心はどちらにも転び得るけど、踏ん張ってくれてよかったというか……お母さんに対する気持ちに決着をつけたんだな、と感じました。もちろん、この決着もまた愛子にとってひとつの過程にすぎないはずで、安易に「許し」とは呼べない複雑さがあるはずなのですが。
3巻になって、お母さんが深いところから浮上してきたような印象がありますね。『愛と呪い』には父親による性暴力というショッキングなテーマがありますから、父親と愛子の問題だと、読んでいる方も最初は捉えると思うんですけど。
ふみ:2巻が発売された時に、押見修造さんと対談させていただいたんです。その時、押見さんが「僕は母親のこと大好きです!」って堂々と宣言してくださって(笑)。母親との関係が苦しいのに好きという謎を解き明かしたくて、ずっと描いているって。押見さんとお話させていただいたことがすごく貴重なきっかけになって、自分が本当に辛かったのは、父親のこと以上に「母親を好きと言えない」ことだったのかもしれないと考え始めました。
生きづらさみたいなことをすぐに「毒親」「毒母」に結びつけるのって、ちょっと抵抗があるんですけど、「母と娘問題」ってやっぱり大きくないですか?
「新しい家族を作らねば」という気持ちに駆られた時期も(渡辺)
渡辺:「母娘問題」考え続けて到着するのは、結局ここ? みたいなところありますよね(笑)。私の親たちは、愛子の家とはまた違った形ですがやはり機能不全家族だったので、それぞれに怒りを向けた時期はありました。父に対して「この感情は死ぬまで持ってて許さない」と思ったこともありますが、自分自身の家庭を持ったりお互いに加齢していく中で、そういう気持ちが割合と薄れて行った気がします。だからと言って好きになるということでもないんですけど、ただただ薄れるんだ、というのはありましたね。
そうして戻ってくるのは、やっぱり母親なのだなと。もう母は亡くなりましたが、自分なりの解決やあきらめを積み重ねてもいまだに夢にみますし、「まだずっといる」という感じです。
ふみ:これ、伺ってよいのかわからないのですが……お子さんが生まれて、ご家族への思いが変わったりしたことはありますか?
渡辺:子どもが生まれた後に大きく変わったというよりは、それ以前から「別の共同体を作って、元の家族とのつながりや意味を薄くしたい」という気持ちがあったんですよ。夫とはパートナーとして籍も入れていましたが、もう少し堅固なものが欲しいというか(笑)。だから「制度としての結婚」はどうでもよかったんですけど、「子どももいなきゃ」みたいな気持ちがすごく湧いてきた時期があったんです、35歳くらいの頃に。
こういう一般論はすごく嫌で、もっとリベラルでいたい、いなきゃと思うんですけど、自分としてはそういう欲求が強かったですね。実際には不妊治療が必要でしたし、親の介護も重なってストレスが強くて、「新しい家族を作らねばならない」という気持ちに押しつぶされそうになってしまってキツい時期でした。
ふみ:わかります。3巻では愛子が結婚と離婚を経験しますけど、愛子も「新しい家族を作らねばならない」という焦りに急き立てられたんだと思います。結婚・離婚や東日本大震災のことも初めは描くつもりなかったんですけど、物語が進むにつれてやっぱり避けては通れなくなって、自分の中から「もう、性交をする『女』にも、それにより子どもを産む『母』にもならなくて良い」という離婚後の愛子の言葉が出てきた時には、ああ、自分はこんなことを感じていたのだなと驚きました。
渡辺:あそこ、本当にすごかったです。私の場合は幸いにも子どもができて、母が亡くなって落ち着くところに落ち着いて、それですごく楽になったんですけど、子どもができなくても時間をかけて納得していっただろうとも思います。家族の問題って決してきれいな形では終わらないですよね。それでもみんなが確実に歳をとっていき、距離感が変わることが大きくて。
ふみ:時間が一番の薬っていうのはありますかね。
渡辺:渦中にいる時は「絶対にそんなことない」って確信していたけれど(笑)。ただ、ネガティブな感情を無理にやりすごせばいいかというと、そうでもない気がします。無理をしても必ずいろんな形で出ますから。自分に何が起きたのか、自分が何を感じていたのか、そういうことに対峙する瞬間は必要だと思う。愛子がパートナーとの関係性や自分の本当の気持ちを捉えて行こうとするところとか、私にはものすごく心を掴まれるものがありました。
ふみ:実は3巻を描きあぐねていた時に、あるきっかけがあって母親と正面から向き合って話したんです。それで、父親はあんなですけどそれなりの経済的な力がありましたし、小さな子どもがいて自分自身には経済力もないという状況の中で、母が“よい結婚、よい家族、よい母親”という幻に縛られて苦しんだのは、自分と同じなんだろうなあと感じるところがあって。
でも、だからと言ってこれまでされてきたことや、私の怒りや憎しみを“なかったこと”にはできないし。渡辺さんが仰るとおり母親を「許す」というのとはちょっと違って、「理解しながら距離をとる」みたいなところに、ようやく辿り着いた感じです。もう『愛と呪い』で今のいろいろを出し切りました。出がらしです(笑)。
後編は11月22日(金)公開予定です。
2019/10/15 新潮社クラブにて
(構成:yomyom編集部、写真:広瀬達郎)
記事提供:yomyom編集部(新潮社)
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情報元リンク: ウートピ
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