間借りしていた家の大家さんとの日々を描いたマンガ『大家さんと僕』がシリーズ累計120万部を突破し、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した矢部太郎さんによる最新作『ぼくのお父さん』(新潮社)が6月17日に発売されました。
矢部さんが大家さんの次にマンガとして描いたのは、父で絵本作家のやべみつのりさん。40年前の東京・東村山を舞台に、家にいてずっと絵を描いて過ごしている、ちょっと変わった「お父さん」との日々をオールカラーで描いています。
子どもの頃はよその家のお父さんとは違う父を「ちょっと恥ずかしいと思っていた」という矢部さんにお話を伺いました。
【試し読み】大家さんの次はお父さん!『ぼくのお父さん』はどんなお話?
大家さんの次はお父さん 『ぼくのお父さん』を描いた理由
——「お父さん」のことを描こうと思った理由を教えてください。
矢部太郎さん(以下、矢部):昔は「お父さんみたいになりたくない」と思っていたこともあったんです。でも、マンガを描くようになって気づいたらお父さんと同じことをしているなって。お父さんは社会になじんでいなくてズレている変な人だと思っていたので「どういうことなんだろう?」と考えたい気持ちもありました。描いているうちに余計に分からなくなったんですが……。それで、お父さんが僕について描いていた絵日記を送ってくれたんです。
——マンガにもあった「たろうノート」ですね。
矢部:今日も持ってきたのですが、それを読んでいると、自分で思ってたのとは違う僕も見えてくるし、お父さんが当時考えていたことも見えてきて、このノートをもとにマンガを描いてみたいなあと思いました。
——「たろうノート」を見たのは初めて?
矢部:中身までちゃんと読んだのは初めてです。お父さんが日記を書いていることは知っていたのですが、読んだことはなかったです。
——読んでみていかがでしたか?
矢部:お父さんって暇だったんだなって思いました。あとはすごく僕たちや周りを観察していたんだなって。まあでもとにかく暇ですね。毎日ツクシ採りに行ってるし……。昨日も行ってたのに今日も行くんだって。
——(日記を見ながら)お姉さんの日記もすごい量ですね。
矢部:お姉ちゃんのノートは全部で38冊あって気合い入っているんですよ。僕は2人目だからか流れ作業というか……3冊で終わってるし……。お姉ちゃんのは絵も精密というか細かいしすごいですよね。
——子どもの頃の矢部さんはお父さんのことをどんなふうに思っていたのですか?
矢部:やっぱりちょっと恥ずかしいなって思っていました。ずっと絵を描いてるし、どもみたいだし。絵を描いてるのも仕事の絵ではなくて僕たちのこととかだからちょっと嫌だなって。でも、いつも一緒に遊んでくれてそんなお父さんってよそにはなかなかいないだろうからそれはうれしかったですね。ただ、どこか普通のお父さんとは違うというか一緒じゃないところが恥ずかしいなって思っていました。
でも、そういうお父さんだったせいか、大人になって僕自身も「人と一緒じゃなくて嫌だ」とは思わないですね。誰かと比べてうらやましがったりすることもないのでそこはお父さんの影響なのかもしれません。
——お父さんはマンガについて何か言っていましたか?
矢部:最初はすごく照れてて「こんな理想の父親みたいに描かないでよ」って言っていました。はっきりとズレた人を描いているので全然“理想の父親”を描いたつもりはないんですけれど……。
——オールカラーで描いたのは理由があるのでしょうか?
矢部:子どもの頃に僕が見えていた世界を描きたいと思ったのでカラーにしました。モノクロで描くと画面が締まるのですが、今回はちょっと違うかなって。それに、今と昔の場面で描き分けたかったので子どもの頃のパートはカラーで描きました。
——とてもやさしい色使いですね。
矢部:マンガって読んでいると疲れちゃうから疲れない本にしたいなとずっと前から思っていたんです。だからセリフも極力減らして、疲れているときにも読めるようなマンガを目指しました。
——お母さまの感想は?
矢部:お母さんからは特に何も聞いてないです。お母さんは昔から僕とお父さんがやっていることにあまり興味がないから……。
——お母さまもマンガに登場しますね。ここはお母さんの影響を受けているなという部分はありますか?
矢部:お母さんはすごくリアリストで、僕もその視点でお父さんのことを見ているかもしれないです。お母さんはお父さんに「もっとちゃんと仕事しないと」ってよく言っていたのですが、「ちゃんとしなきゃ」と思っている自分がどこかにいるんです。お笑い芸人もマンガ描くのも制約なくやっている感じかもしれないですが、やっぱり「ちゃんとしなきゃいけない」とは思っていて、そこはお母さんの影響かなと思います。
自分がするのは評価じゃなくて満足
——『大家さんと僕』は大ヒットしましたが、『大家さんと僕』を描いたことでの変化はありましたか?
矢部:変化したこと……うーん。たくさんあるとは思うんですけれど、大家さんにご迷惑がかからないように思うようになったことかな。例えば僕がすることで何かご迷惑をかけてしまうことがあるかもしれないから、そういう責任はあるかなとは思っています。
——『大家さんと僕』は第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞するなど評価も高い作品ですが、矢部さん自身は評価は気になりますか?
矢部:あんまり。もちろん「良かったね」って言われたらうれしいけれど、黒沢年雄さんが「評価は他人がするものだから、何でもやったほうがいいし、気にしなくていいよね」っておっしゃっていたんです。「俳優をやっていて、歌なんか絶対出したくないし嫌だなと思ってたら、『時には娼婦のように』がすごく売れた。それから俺は歌手だと思ってるんだよね」と言っていて、その話を聞いたときにすごく楽になったんです。
自分がするのは評価じゃなくて満足だと思うんです。満足できた時点で僕はオッケーだと思っているので。マンガにもよくお父さんが言っていた「結果より過程のほうが大事だ」っていう話を描いたんですが、そういうことかもしれないですね。
——働いていると「評価」が気になってしまうし、誰かと競争するのが当たり前になってしまっていて、矢部さんはどんなふうに考えているのか伺いたかったんです。
矢部:競争で勝ったものだけが必ずしも良いとは限らないし、僕自身が何かを評価するときの基準が人と全然違うんです。だから、たくさんの人が良いって言ったから良いわけではないかなって。確かに何人かの好きな人に評価されなかったらショックかもしれないけれど、それですら「まあそういうもんかな」と思っています。マンガを描いているのも競争したくないから誰かと違うことをやっているのが大きい気がします。
——子どもの頃からマンガ家になりたかったのですか?
矢部:小さい頃は憧れはありましたが、現実はなかなか難しいですよね。大家さんのことが描けたからそうなっただけで。
——結果的にお父さんと近しいことをやってらっしゃいますね。
矢部:どこか遠くに行こうとして、1回外に出てみたけれど、やっぱり自分の中にあるものをまた見つめ直すというか、そういう時期なのかもしれないですね。でも、遠くに行った分、自分の中にあったものも同じものではなくなっている。別に遠くに行かなくてもいいと思うし、同じ場所にいたとしても深まるものはあるし、広がるものはあると思うんですけど……。
基本的には感謝の気持ちで描いている
——改めて、1冊の本になってみていかがですか?
矢部:今回は全部カラーで描きたいとか僕の要望を全部聞いてくださったので、ヒット作が出ると言うことを聞いてもらえるんだなって思いました(笑)。 4年前とか5年前の僕が言ったら「はあ?」って言われたかもしれないし、もちろん100%かなえてもらえるわけではないんですが……。つい最近も「やっぱりタイトルを変えたい」って言ったら却下されたんです。
——ちなみにどんなタイトルだったんですか?
矢部:「お父さんノート」っていうタイトルにしたいなって。でもそれを言ったのが一昨日だったので誰も取り合ってくれなかったです。。
——この記事を「父の日」に掲載したいと思っているのですが、読者にメッセージをお願いします。
矢部:父の日って何をしていいか分からないところがあるから、よかったらこの本をお父さんにプレゼントしてもらえたらうれしいですね。僕自身、マンガを描いたことでいろいろ忘れていたことを思い出すきっかけにもなったし、そんなふうにお父さんのこととか思い出してもらえればうれしいです。マンガでお父さんのことをいじってるし、変だって描いているけれど基本的には感謝の気持ちで描いているので、改まって感謝とか言えなくてもこの本をプレゼントすることで感謝の気持ちが伝わればいいなあと思います。
(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
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情報元リンク: ウートピ
「評価よりも満足」矢部太郎がちょっと“変わった”お父さんから教えられたこと