中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
もろずみさん夫婦と、周りの人たちへの思いをつづるこの連載。今回は、ふたりで受けた取材を通して感じたことについて書いていただきました。
取材で「夫婦で長生きしたい」と答えた夫
先日、週刊誌「AERA」の取材を受けました。「はたらく夫婦カンケイ」という人気の連載で、夫と2人で取材を受けるという私たちにとって初めての挑戦でした。
取材から約1ヶ月後に見本誌が届き、「どんな風に書いてもらえたのかなぁ」「見るのが怖い!」と2人でそわそわワクワクしながら誌面を眺めると、あることに気がつきます。移植手術を決断した理由が、夫と私で違うではありませんか。
「移植をすれば子どもを授かれるかもしれない」と答えた私に対して、夫は「二人で長生きしたい」と答えていました。移植を決断した理由は一つではなく、いろいろなことを考えていたので、どちらの答えも両方正しいのですが、質問されてパッと出た答えが違うことに驚きました。
なぜ、夫は「二人で長生きしたい」と答えたのか。その気持ちを想像した時、申し訳なさで胸がぎゅっと苦しくなりました。
「未来交換日記」に綴っていた重い気持ち
雑誌の取材を受けるにあたり、夫も私も、事前準備をたくさんしました。手術したのは1年前のことなので、当時のことをうまく答えられるか自信がなかったのです。そんな時頼りになるのは、夫のホンネをのぞき見るために書いていた「未来交換日記」です。移植手術後に答え合わせをしようと誘ったのは口実で、本当は「やっぱりやめたい」と思っているのではないか、夜な夜な確認していたのです。この連載でバレましたが、夫は許してくれました。
移植前の自分の日記を久々に読むと、「これ、本当に私が書いたのかな」と衝撃を受けました。自分のことながら「この人、終始パニックだけど大丈夫?」と、本気で心配してしまうほど、沼の底にいるような内容だからです。
2018年1月14日(日)
状況は悪化している。何もしてないのに、怖くてパソコンを抱えてる。人の言葉や文章が頭に入ってこない。記憶ができない。夫を頼って3時間睡眠。少し回復する。
2018年1月15日(月)
仕事しないといけないのに眠くて、眠くて、どんどん追い込まれていく。何をやってもうまくいかない。このスパイラルから抜け出せる日が来るのだろうか。自分のことが嫌いすぎて、この世から抹消したい。
当時、持病の影響で体力も気力も限界だった私は、それでも無理やり仕事をしようとしていたため、自分を見失っていました。明日は今日より悪くなっているかもしれないと思うと眠るのが怖くてパソコンを抱えたままソファに横になったり、シャワーを浴びる時間があったら原稿を書かないと!と言って、シャワーを拒否したりして、とにかく焦っていたんです。必死に今にしがみつかないと、何もかもポロポロとこぼれ落ちて行くようで怖かったのです。
疲れる、気力がない、仕事に集中できない、原稿が書けない、お仕事関係者に迷惑をかける自分が許せないと、日記にネガティブなことばかり書きなぐり、決まり文句は、「消えてなくなりたい」でした。実際に日記に書いたのは2回ですが、頭の中で常に消えて無くなりたいと連呼していました。
移植は一人ではできない
そんな私を見て夫は、「頼むから寝てください」と言って、全身マッサージをしてくれたり「5分間だけ目を閉じて。絶対に起こしてあげるから」と言いました。夫だってフルで働いて疲れきっているはずなのに、私のパニックに朝まで付き合ってくれました。当時の夫の日記を読むと、かなりつらかったと書かれていました。
「移植は一人ではできません。普段は厳しく言うことはないのですが、その時はむちゃをしないでと伝えました」(AERA 2019年4月15日号より抜粋)
誌面の夫の言葉を見て、夫はどれほど胸を痛めたことか、心配してくれていたのかと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
私たちは夫婦間腎移植という選択をしました。それは、生きるためです。夫婦で命を分けあって、1日でも1時間でも長く一緒にいるためでした。
私は今年、39歳になりました。加齢の影響で鏡の中の私は髪の毛が薄くなったり、ほうれい線が濃くなったりしています。ひとりの女性としては、なかなか切ないものですが、しかし同時にどこか嬉しさも感じるのです。着実に年齢を重ねていると実感できるからです。「おじいちゃん、おばあちゃんになっても一緒にいようね」。術後、夫となんどもこの言葉を確認し合いました。
それでも人生は続く
今も、相変わらず死について考えます。私の死より、いつか必ずやってくる夫との別れについてです。その瞬間を想像すると私はアニメ映画『カールじいさんの空飛ぶ家』を思い出します。
長年連れ添った妻を亡くしたカールじいさんが、失意の中で出会った少年と新たな人生の旅に出るというストーリーです。妻がいなくなった後も、カールじいさんの人生は続きます。
移植前は、夫より私の方が確実に「先」だろうと安心しきっていました。ところが、夫から健康な腎臓をもらって元気になった今は、「いや、これはもうどっちが先かわからんぞ……」という気持ちになっています。
夫がいない人生。そんなの耐えられるのだろうか。誰もがいつかは大切な人との別れを経験する、そうわかっていてもきっとその瞬間には「もっと何かできたのではないか……」と失意の中で悔やんでしまうのではないかと思うのです。
正直にいうと、できればやっぱり夫に看取ってほしいけれど、こうして健康に過ごせるようになった中で新たに芽生えた思いがあります。ドナーになって私を助けてくれた夫の最期に立ち会い、そして夫に「良い人生だった」と言ってもらうことが、夫の恩に報いることなのかもしれないと思うようになったのです。
そのためには、日々のあり方が大切なんですよね。今日、明日の積み重ねが未来を作るんですもの。そんなことを思いながら、今、こうして手を伸ばせば、生きて血の通った夫に触れられる。かけがえのないこの時間を噛み締めています。
(もろずみはるか)
- 「移植したら僕はもういいの?」夫に言われてハッとした”距離感”
- 苦しむ12歳の私に背を向けた医師。固く閉じていた心をほぐしてくれたのは…
- 眠る私のとなりで泣いた夫。気づけなかったドナーの喪失感
- 「夫=支える側」に慣れきっていた私 立場が逆転してわかったこと
- 「できません」が言えなかった私が、移植経験をSNSに投稿して気づいたこと
- 挨拶がわりに「数値どうですか?」入院で築いた新しいカンケイ
情報元リンク: ウートピ
「消えたい」が口ぐせだった私 夫と受けた取材で気づいたこと