「うちの親、ちょい毒親入ってるんだよね」--。
ここ数年、日常会話や友人との何気ない会話で聞かれることが多くなった「毒親」という言葉。元々は1989年に発表されたアメリカのスーザン・フォワードの著書『毒になる親』をきっかけに知られるようになりました。子供の人生を支配し、子供の成長にとって「毒」となる振る舞いをする親のことを指し、ドラマや映画などでも頻繁に取り上げられるように。
3月25日に新刊『毒親』(ポプラ社)を上梓した、脳科学者の中野信子(なかの・のぶこ)さんによると、毒親とは「自分に悪影響を与え続けている親その人自身」というよりも「自分の中にいるネガティブな親の存在」と言います。
大人になっても対人関係に影響を与え続ける親子の関係とは? 中野さんに前後編にわたって話を伺いました。
【前編】“毒親育ち”だったとしても…自分を育て直すために大事なこと
子供が欲しくない私は変なの?
——『毒親』では、母親に対して向けられる厳しい視線や世間からのプレッシャーについても触れられていました。中野さんがおっしゃるように「母親が全員育児のプロなわけではない」はずなのに「いい母親像」を求められる……。そんな状況もあって、私は子供を欲しいと思わないんです。でも、それを言うと「産めばかわいいよ」「女性の本能なんだから」「ごちゃごちゃ考えすぎ」と言われる。
中野信子さん(以下、中野):本能ってそもそも変な概念ですよね。よく、理性と対立するものとして語られるんですけど、じゃあ理性だってもともと備え付けの性質には変わりないわけだから本能って呼ぶべきなんじゃないのっていう(笑)。
女性には「本能である」として義務を押し付け、男は「本能である」として女を犯すことが許される、みたいな性別で非対称な通念がまかり通っているのも奇妙です。誰もおかしいと言わないのは、疑義を呈すると女は男の上司やそれを当たり前であるとして耐えてきた女性の諸先輩方から嫌がらせされるからですかね(笑)。
——自分の意思として「子供を欲しいと思わない」という女性は友人でも何人かいるのですが、「私は女として変なのだろうか?」と人知れず悩んでいることも多い。
中野:私もあまり子供を産みたいって思わないですよ。別に変ではないし、それに、仮に変だとしても、どうでもよくないですか? あれだけオンリーワンとか日本中のカラオケで歌われてから何年もたっているのに、今さら「変じゃない」を目指す必要もはやあります?
そもそも出産というのは母体に負担もかかるしすごく大変なことですよ。自分の命を危険にさらすことになるかもしれない、大事業です。だから、出産を経験された人に対してはすごく尊敬しています。尊敬していますが、自分がやりたいと思うかどうかはまた別の話です。女としてどうよ、と言ってくる男性がもしいらしたら、おまえこそ人間としてどうよ、と心の中で毒づきますね。
さて、この難事業を、恐怖心や損得計算を超えて何とかやり切らせようとある意味、脳の恐怖を感じる領域を麻痺(まひ)させるような仕組みが愛とか恋とかなんですよね。オキシトシンやドーパミンの影響で一瞬、相手のためには何だってしてあげたい、と、出産を選択させる方向に脳を持っていくんです。「この人の子供だったら産みたい」と。
——そういう仕組みなんですね。
中野:我々は残念ながら、麻痺(まひ)しない脳を持っているのかもしれません(笑)。恋愛しても、「妊娠はちょっと……」と思ってしまう。でも、大多数の人は力強い“麻酔”の仕組みが備わっていて、それはやっぱり大事なものではあるんですよね。
けれど、違った形で次世代に貢献をする、我々のような個体も存在するんです。子供を産まない個体がすべて無駄だというなら、アリやハチなんて女王以外全部無駄では?
——決して“ヒトとして”欠陥があるわけではないんですね。
中野:欠陥が本当にあるなら、すでに子を産まない選択をするような脳は淘汰されていると思いますよ。社会学的なテーマになってしまうのですが、「すべてを担える母親」というのは想像力のない人が無批判に固執しているステレオタイプ的イメージにすぎないでしょう。
核家族の歴史はそれほど長くない。母が教育者も養育者もマネージャーもほぼワンオペですべて担うというのはかなり不自然です。それが成立するなら共同体は必要ないしそもそも婚姻ですら無意味になる。極論を言えば生殖を終えた雄の個体は生かしておくだけ無駄ということになり、まだ雌か子の栄養になったほうがましなくらいです。母のワンオペが成立するあるいは子の自立が早い生物では、本当にそうしてしまう種もいますよね。
かつては、人間は共同体で子供の面倒を見ていたわけです。そういうシステムが時代の変遷により崩壊して、母親に過大な責任が降りかかってくるというのはどう考えても無理がある。ただでさえ肉体的に労苦を負うのに、それに加算してその後何年もの間にわたって人生をささげなければならないというのは、非常に重いことです。決断に躊躇(ちゅうちょ)する人が増えているのは、このように、極めて複合的な要因によるでしょう。
——ある意味、合理的な判断なのですね。
産まないなりのコミットメントの方法がある
中野:本書では、子供を産むことにコミットしない人たちはどういう役割を果たしているのかについても言及しています。
面白い研究に、共同体の中に同性愛の個体が多いほうが、子供が増えやすいという報告があるんです。この結果について研究グループは、こうした共同体では、子供を産んだ者にとって、子供を産まない人々によるサポートがより容易に得られるようになるからだといっています。そうすると、母親も安心して第二子、第三子が産めるということになるでしょうし、未婚のものもより安心して子供を産もうと思えるでしょう。
産むのが得意な人もいれば育てるのが得意な人もいる。どちらがより偉いという競争になるのがなぜか起こりがちなことですが、次世代を育むという観点からみればどちらも大切です。もっと協力し合える空気ができるといいんですが。
——中野さんのおばさまも子育てをサポートしてくれたそうですね。
中野:はい、当時未婚だった叔母が母のサポートをしてくれて、私の教育係の役割を果たしてくれました。そういう人がいるだけで、少しでも母たちの肩の荷が下りるといいと思います。
母親は子供を産んで体力を回復させないといけない大変な状態にあるのですから、サポートできる存在がいるならサポートを積極的に期待してもいいんじゃないかと思います。逆に我々のような子を持たない個体は、子を産まないなりの次世代へのコミットメントの方法がいくらでもあるはずです。
——子供を産まないのも生物のバリエーションの一つだと考えると楽になるかもしれないですね。
中野:「すべての女性が母親になりたいわけじゃない」という現実はもっとバイオロジカルに考慮されるべきですよね。
傷を負ってきた歴史が武器になるかもしれない
——毎年のように起こる自然災害や今回の新型コロナウイルスを巡る状況を見ても、何が強いのかというのは分からないなあと日々感じています。
中野:これまでは多動的で、積極的に誰とでも会い、みんなで集まって騒ぐパリピのような人たちが何となく“勝ち組”的なイメージで語られることが多かったんじゃないでしょうか。けれど、感染症の危険にさらされている今のような状況下では、誰とも会わず、引きこもったまま生活できる人が最強ですよね。状況が変わるとここまで変わるものかと興味深く思いますよ。誰が強いのか、弱いのか、状況によっては評価が真逆になるわけですよね。
——本当にそうですね。
中野:持って生まれた才能を持ち、恵まれた親の元でその才能を開花させて、この世を謳歌しているような人をみて、もしかしたら「勝ち組はいいな」とうらやみ、ねたみを感じる人もいるかもしれない。でも、それだって、状況が変わればあっけなく逆転してしまうものです。
何が言いたいかというと、自分が傷を負ってきたという歴史が、武器になる状況があり得る、ということです。武器というのは決して人を傷つけるための武器ではなくて、どちらかといえば自分の価値を高めるための武器だったり、大事な人を守るために使える武器。
そういう見方からもう一度、自分自身と親との関係を冷静に分析してみるガイドにこの本を使ってもらえたらうれしいなと思っています。
(聞き手:ウートピ編集部:堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
「本能」って言うけれど…子供が欲しくない私はおかしいの?【中野信子】