「オリンピック、マジでやるの?」と多くの国民が白目になっているヘルジャパン。
五輪がらみでは森さんの女性差別発言も含めて、白目になることの連続だ。巨大な吹き出物がつぶれて「どこまで膿(うみ)が出るのかな?」みたいな状況である。
開閉会式の演出で、渡辺直美さんの容姿を侮辱するような企画が提案されていた件も報じられたが、「ルッキズムでおなじみヘルジャパンでーす!」と世界に自己紹介したいのかな?と白目になった。
この件について、ワイドショーで男性芸人が「直美さん本人は気にしてませんよ」とコメントした。
(容姿イジリをされても)気にしないほうが、芸人としてプロ意識が高い→気にするのはプロ意識が低い。そんな価値観がイヤでもイヤと言えない空気を作っているのに。
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気にする/しないの問題ではなく社会問題
一般社会でも「セクハラにいちいち騒ぐなんてプロじゃない」的な価値観に苦しむ人は多い。そうした価値観が被害者が声を上げられない空気を作り上げ、差別を温存することにつながるのだ。
なにより、渡辺直美さんの件は本人が気にする/しないの問題じゃなく、ルッキズム(容姿差別)という社会問題である。
「幸せ太り?」のコラムにも書いたが、ルッキズムの影響によって摂食障害に苦しむ女性は多い。
私も女子校から共学の大学に進んだ時、男子から「デブ」「ブス」「モテないだろ」とイジられて、過食嘔吐するようになった。拙書『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』に書いたように、私の母は拒食症が原因で亡くなった。
ルッキズムは人を殺す呪いになるのだ。にもかかわらず「本人は気にしてませんよ(こんなの大したことじゃないでしょ)」と発言するのは、問題の矮小化につながる。
「カズレーザーよ、おまえもか」
というのを、カズレーザーならわかると思ったのになあ(しょんぼり)。冒頭の発言をした男性芸人はカズレーザーである。この発言に対して「カズレーザーよ、おまえもか」とカエサル顔になった人は多いんじゃないか。
私の周りの女子たちも「彼は信頼できると思ったのに……」「裏切られた気分で残念です……」としめやかな空気に包まれていた。
だって、直美ちゃんが気にしないはずないだろう。
彼女はボディポジティブやガールズエンパワメントのアイコン的な存在で、国際的に活躍するスターだ。彼女の存在に励まされたファンは世界中に何百万人もいるだろう。
私も10代の時に直美ちゃんを見たら「こんなにおしゃれでかわいくなれるんだ!」と勇気づけられたと思う。「直美ちゃんみたいにカッコよく胸を張って生きよう」とお手本にしたと思う。
そうやって容姿コンプレックスに悩む人を救ってきた彼女が「私は気にしてません」「大した問題じゃないですよ」なんて言うはずないじゃないか。
と思っていたら、その後、本人が公式YouTubeチャンネルで「報道を目にすることで、体型にコンプレックスを感じている人たちや、乗り越えてきた人たちが傷つくだろうことが心配だった」とコメントしていた。
彼女は「(そんなオファーが来ても)絶対断ってますし、その演出を私は批判すると思う」「体型のことをどうこう言う次元じゃないですよ、もう2020年代に入りましたから」とルッキズムを批判して、「これだけは伝えたいんだけど、芸人だったらっていうこと自体も違うからねっていう。今回の案、演出に関して、芸人だったらやるかといったら違う」とキッパリ否定していた。
「お笑いは男の世界だ」「女に笑いはわからない」?
それを聞いて「やっぱり直美ちゃん大好き……これからもケイトスペード買おう*」と思った。こちらは私の私物写真だが、酒瓶型のクラッチは武器にもなって便利。
* 2020年のグローバルアンバサダーに 初の日本人女性として渡辺直美さんが起用された
女芸人が容姿ネタや体を張ったネタ、セクハラに笑いで返すネタをすると「女を捨ててる」「プロ意識が高い」と称賛する人々がいる。そして、彼女らがそれ系のネタをやらなくなると「今までそれで売ってきたくせに」と批判する人々もいる。
彼女らはたとえやりたくなくてもそうせざるを得なかったのだと、想像できないのだろうか?
「お笑いは男の世界だ」「女に笑いはわからない」と言われるホモソーシャルな男社会で、男が求める女芸人の役割に応えなければ、生き残れなかった。その価値観に適応しながら必死でがんばって売れっ子になって、ようやく本音を言えるようになった。
これは一般社会に生きる女子も同じである。そして「おじさん」にはそんな女子の葛藤や苦しみが見えないのも同じである。
おじさん的な価値観を煮詰めたようなワイドショーで、カズレーザーも空気を読んだのかもしれない。でもやっぱり彼には「こんなの世界中から失笑されますよ」と言ってほしかったなあと思う。
「ジャイ子」は気にしていないはず
最近は若手芸人が「そういうネタは古すぎて笑えない」と意見したり、女芸人が「容姿イジリや自虐ネタはやめることにした」と発言したりしている。そんな若手の影響で「アップデートしないと生き残れない」と危機感を抱くおじさん芸人もいるんじゃないか。
変わらなきゃと気づいたなら、そこから変わればいいのだ。過去は変えられないけど、未来の言動は変えられるのだから。
私も過去にさんざんやらかした反省があるからこそ、アップデートを怠ってはいけないし、声を上げなきゃと思っている。
広告会社で働いていた時、大柄な女の子が入社してきた。彼女の歓迎会で、おじさん上司が「おまえジャイアントだな!あだ名はジャイ子だ!」と命名した。
私が後日その上司に「本人は嫌なんじゃないですか?」と言うと「本人は気にしてないよ、むしろ気に入ってるみたいだぞ」と返ってきた。たしかに本人も「ジャイ子でーす!(ダブルピース)」みたいな感じだったので、大丈夫かなと思っていた。
しかしその10年後、元同僚から「本人はすごく嫌だったし、傷ついてたんだって」と聞いて、大いに反省した私。
「自分は気にしないから、他人も気にしないはず」という想像力の欠如
まず「新人の立場で本人はイヤでもイヤだと言えないよな」と想像できなかったことを反省した。
また「本人が気にしてなければいいのか?」とも考えた。たとえ本人が気にしてなくても、それを聞いて傷つく人がいるかもしれない。
私も大学時代、デブイジリや非モテイジリされている人を見ると、自分も傷ついた。「私みたいな存在は笑われて揶揄されて当然なんだな」と感じたからだ。
これは性別、人種、セクシャリティ、宗教、障がい、家庭環境…その他あらゆることに言える。誰かの属性を笑いのネタにしたり偏見のある発言をしたりするのは、同じ属性をもつ人を傷つけるのだ。
かつ「自分は気にしないから、他人も気にしないはず」という想像力の欠如もあった。
というのも、私はドラえもんのジャイ子を尊敬していたから。彼女はクリスチーネ剛田というペンネームで漫画家を目指して、将来は「ウェディングメロン」という作品で500万部突破する売れっ子漫画家になる。
夢を叶えて立派だなあと尊敬していたので、私自身はジャイ子と呼ばれてもイヤじゃなかった。だからといって、他人もイヤじゃないという根拠にはならないのだ。
ハラスメントの軽視は次世代にも受け継がれる
「本人は気にしてないよ」と上司に言われた時、私は「いや新人の立場で本人はイヤでもイヤと言えませんよね。ていうか、そもそもあだ名つけるのやめません?」と意見すればよかった。そうすれば、彼女は何年もイヤな呼び方をされずにすんだのだ。
今回のカズレーザーの発言で、私も過去の自分を反省した。そして「行動する傍観者=#ActiveBystanderに俺はなる!」と改めて思った。
「本人は気にしてませんよ」という言葉は、声を上げる人の口をふさいで、いろんな問題を見えなくしてしまう。これは「そんなの気にしなきゃいい」という言葉も同様である。
前回「もう許してあげたら?」のコラムで書いたように、「(大したことじゃないんだから)そんなの気にしなきゃいい」とハラスメントや差別を軽視するのは、被害者に対する二次加害だ。
そう言われた側は「気にしてしまう自分はダメなんだ」「いちいち騒ぐのはおかしいんだ」と自分を責めて自信を失い、声を上げられなくなってしまう。
身体的な暴力は加害者が罰せられて当然なのに、言葉の暴力は被害者が「気にするな」と言われるのはおかしい。
「そんなの気にしなきゃいい」「あなたは繊細すぎるよ」と発言する人は、気にせずにいられること、鈍感でいられることが特権なのだと気づくべきだ。
足を踏む側に注意を
差別やハラスメントに敏感でいる方が、うっかり誰かを傷つけずにすむ。敏感でいること、違和感を大事にすることは、自分と他人を大事にすることだと思う。
もし容姿イジリされた人に「そんなの気にしなきゃいい」「あんなの軽い冗談でしょ」と発言する人がいたら「いや言わなきゃいいでしょ」と返したい。たとえ冗談のつもりでも、足を踏まれた側は痛いのだ。踏む側に踏むなと注意しなければ、ハラスメントや差別は永遠になくならない。
みたいなことを、カズレーザーならわかると思ったのになあ(リピート)
同じワイドショーで梅沢富美男が「(女優さんに)綺麗になったと言えばセクハラと言われ、ブスになったと言えばパワハラと言われる」とボヤいた時に、カズレーザーは「(綺麗もブスも)言う必要ないですから」とピシャリと返していた。
その時に「やるじゃねえか、カズレーザー」と私は思った。今回の発言にはしょんぼりしたが、彼は批判されて「俺は悪くない!」と開き直る人ではないと信じている。
「幸せ太り?」のコラムに書いたように、スウェーデンでは「人の見た目に言及しない」「人の容姿について何か思ったとしても、口に出すのはマナー違反」が、子どもでも知っている常識だそうだ。
ルッキズムでおなじみのヘルジャパンに生まれると、感覚が麻痺してしまう。私も20代の頃は「イケメンなのに東大なんてすごいねー!」とか平気で発言していた。
あれは間違っていたと気づいたら素直に反省できる、そういうものに私はなりたい。そして直美ちゃんみたいにダンスが上手くなりたい。なのでビヨンセのものまね動画を見ながら練習に励んで、浪速のビヨンセ(45歳)を目指したいと思う。
(イラスト:飯田華子)
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情報元リンク: ウートピ
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