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「愛情と母性と血のつながり」は家族の必須条件か? 「ぎぼむす」に胸が熱くなる理由

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女優の綾瀬はるかさんが主演のドラマ『義母と娘のブルース』が、今期の民放連続ドラマで視聴率トップを走り続けています。義母が実子ではない子どもを育てるというと湿っぽくなりがちな設定ですが、明るくテンポ良いストーリーに笑いながらホロリとさせられている人も多いのではないでしょうか。

そこでウートピでは、ライターの吉田潮さんに「ぎぼむす」がなぜ私たちの胸を打つのか検証していただきました。

「女の幸せテンプレ」はもう古い

自分が愛してやまない人と大恋愛の末、結婚して、仕事をやめて夫の扶養に入り、子供を産んで、家族が末永く仲良く暮らしていく。これがロールモデルとしてまことしやかに信じられていた頃、この形からちょっとでも外れた家族は、「ワケあり」「複雑」「ややこしい」と呼ばれてきた。

古き悪しき人々はいまだにこの形に押し込めようと、「女の幸せ」を説き、「愛情と母性と血のつながり」を必要以上に求め、女性の人生の選択肢を狭めようとする。平成も終わりを迎えるいまは、そんな呪いも効力をもたなくなってきた、と思いたいのだが。そこで参考にしたいのが、家庭運営の新しいモデルを見せてくれたドラマ「義母と娘のブルース」(TBS系)である。何が斬新なのか、検証していこう。

そもそも、愛から始まっていない

タイトルの通り、「義母と娘」の関係を軸に描かれる本作。義母は大手企業で部長を務めるバリキャリの綾瀬はるか。綾瀬はある日突然、ライバル会社の男性(竹野内豊)にプロポーズされる。いや、正しくはプロポーズではなく、余命宣告を受けた自分の死後に娘を託したいというとんでもないオファーだ。綾瀬はそれを引き受けて夫婦になる。

そう、綾瀬と竹野内は恋愛をしていない。契約結婚というか、偽装結婚と呼ばれてもおかしくない。目的はひとつ、娘の成長を見守ること。そして綾瀬は持ち前のビジネススキルで「家庭運営」に奮闘するのだが……。 

娘の抵抗や夫からのまさかの解雇宣告など、失敗のPDCAを回しながらそれぞれは絆を深めていく。「愛」ではなく、「情」や「敬意」に近い。しかし陽だまりに包まれたような幸せな時間は続かず、竹野内は生きる努力をすると決意したところで急逝。綾瀬は心から悲しみ、喪失感を味わい、初めて愛に気づいたのだった。

好きな人と結ばれることが困難な時代に、綾瀬のスタンスはひとつの奇抜な提案だ。入口はどうであれ、枠にはまらない「結婚」がある。家族という共同体は、愛という名の王道から入らなくても、構築できるのだと示唆している。

産まなくても母になれる

綾瀬は基本、仕事人間だ。趣味なし・男なし・休みなしで、ただひたすら仕事だけにまい進してきた。「恋したい」「結婚したい」「子供がほしい」と思ったこともない。今までの「仕事だけの人生」を後悔もしていないが、ふとした瞬間に寂しさを覚えることもあった。その時、偶然にも「母になる」チャンスに恵まれた。人生の岐路、一大決心である。

生活を変えるには勇気と覚悟が必要だ。それでも綾瀬は飛び込んだ。そして竹野内のオファーを引き受けることで小学生の娘ができた。飛び級の出来事である。さらに、ピンピンころりで死ぬことを想定していた竹野内が病気と闘う決意をし、「治っても一緒にいてくれますか?」と愛の告白もしてくれた。娘だけでなく、想定外だった夫までもがついてきたのだ。ドラマの中で綾瀬は動揺しつつも、「奇跡の受注」と呼んでいた。とてもいい表現だったと思う。

愛を学ぶこともできた。産まなくても母になれた。これは女性にとって、可能性と選択肢を広げるきっかけになる。物事の順番を気にして、踏み込めずにその場でグルグルしている人は、綾瀬の飛び級人生に胸がすく思いを抱いたに違いない。

また、結婚相手の条件を考えすぎて、自分の欲望の着地点がわからなくなっている女性も多い。そんな人には、シングルファザーとの結婚を真剣に考えるきっかけになったと思う。ま、実際には、竹野内のようなルックスと優しさと寛大さと経済的余裕をもったシングルファザーなんて超レアなのだけど。そこはドラマだ。夢を見させてもらおうではないか。

ともかく、産まなくても産めなくても親になることはできるし、子供をきちんと育てることもできる。それを具現化したのが綾瀬の生きざまなのだ。

「母性」のオリジナリティと多様性

綾瀬は「義母としてのタスク」を自分なりに遂行していく。「家族だから仕方ない」「夫婦だからこんなもの」といった我慢も妥協もない。ただひたすらビジネスの論理で淡々と子育てをする。小学生の娘に対しても敬語を使い、見下しも見くびりもしない。真摯に取り組み、合理的に家庭運営を進める姿を見て、これもある種の「母性」だと思った。

とかく母親は子供とつかず離れず、常に清く正しく美しく優しくあるべきだといろいろ背負わされている。「女らしく」「母親らしく」「ママコミュニティで嫌われないよう」、がんじがらめに縛られて、自分らしさを失ってしまう。

ところが綾瀬は自分のスタイルを貫く。無難な紺のスーツにまとめ髪、非合理的で辟易するPTAのやり方には毅然と物申し、改善策を提案する。ビジネスモードを徹底しつつも、子供の意見や提案には耳を傾ける。過保護・過干渉で支配と管理をするのではなく、子供を一個人として扱う姿勢、これも立派な「母性」なのだ。

血のつながりよりも大切なものがあると思える

娘(横溝菜帆)は、次第に綾瀬を一個人として、義母として、認めていく。綾瀬も竹野内も、生みの母も育ての母も同一視し、「子供には母親が必要だ」と考えていたのだが、娘は悟っている。「生みの親と義母は別々でいい、無理に同じにしなくてもいい」という。母親という存在は、ひとりにしぼらなくてもいいし、上書きしなくてもいいのだ。

「血のつながり」とはなんぞや、という問いかけもこのドラマには含まれている。高校生になった娘(上白石萌歌)は、すべてにおいて完璧な義母にコンプレックスとプレッシャーを感じていた。勉強ができない自分に引け目を感じ、それにあえて触れない綾瀬に対して、「血がつながらないから、何も言わないのだ」と思い込んでいる。

一方、綾瀬は「自分が産んだ娘だったら、などと一度も思ったこともないし、似てほしいとも思っていない」と断言するが、二人は互いを思いやる気持ちからギクシャクしてしまう。

そこでいい働きをしたのが、父のパン屋を継いだ男(佐藤健)だ。綾瀬が自分と娘の関係を佐藤に吐露したところ、まさかの名言が返ってくる。「逆に、血がつながってんのに似てないと、逃げ場ないワケっスよ」

つまり、血がつながっていても、完璧な親父のように自分がうまくできない、むしろそのほうが地獄だと。生みの親でも育ての親でも、どんな親子であっても、コンプレックスやプレッシャーはあるし、摩擦は起こりうること。チャラい役柄の佐藤は珠玉の名言を吐いたつもりはないのだが、深読みできる綾瀬の心にはずーんと響く。大切なのは認めること。「血がつながらないことを理由にしてはいけませんね」と悟るのだ。

理想の〇〇から抜け出せるかは自分次第

このドラマには、枠に当てはめない生き方の提案がふんだんにちりばめられている。もちろん、ビジネススキルが高い、経済的不安がない、まっとうな男との出会いなど、好条件が揃った女性のレアケースではあるけれど、凝り固まった価値観の殻をちょっとだけ破ってくれる力がある。殻を破って外に出るかどうか、「理想の〇〇」「普通の〇〇」に縛られず、その先に一歩を踏み出せるかどうかは自分次第だよねぇ。

(吉田 潮)

情報元リンク: ウートピ
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