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「怒りを感じる自分」を大事にして【小島慶子のパイな人生】

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恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。

第17回からは、小島さんの最新著書『さよなら!ハラスメント』(晶文社)の刊行を記念して、「ハラスメント」について3回にわたり書いていただくことに。私たちに付きまとう様々なハラスメントに「さよなら!」を言える日はいつくるのでしょうか。

『さよなら!ハラスメント ――自分と社会を変える11の知恵』(晶文社)

『さよなら! ハラスメント
――自分と社会を変える11の知恵』(晶文社)

「怒るのは悪いことですか?」

このほど新刊対談集『さよなら!ハラスメント』を刊行しました。11人の識者に「どうしたらハラスメントのない世の中にできると思いますか?」と素朴にお尋ねしたのです。作家の桐野夏生さんやライターの武田砂鉄さん、評論家の荻上チキさんほか、弁護士、研究者、ジャーナリスト、医療の専門家などのみなさんがハラスメントをなくすための知恵を語ってくださいました。個人的な体験も交えて語ってくださったのでとても面白かったです。

セクハラやパワハラの話になると、あんまり関わりたくないと思う人も多いだろうと思います。自分も認識不足でやっちゃってたかも、っていう後ろめたさもあって。でも身に覚えがあるからこそ「じゃあ、もうやめよう」って言わないとなと思います。私も過去を振り返ると、悔やむことがいっぱいあります。

本の冒頭で、作家の桐野夏生さんに「怒るのは悪いことですか?」と伺いました。桐野さんは文壇にデビューした時に男性評論家からひどい女性差別を受け、それに対して筆の力で果敢に抗議しました。当時、責任ある立場の男性に相談したら「それは私怨だろう」と取り合ってくれなかったそうです。けれど「個人的な怒りは社会の問題と通底している」と桐野さんはおっしゃいます。単なる個人の諍(いさか)いではなく、女性蔑視・性差別という構造的な問題があるとわかっていたから桐野さんは黙らなかったのです。

男の「ヒステリー」はないのか

怒るのは怖いですよね。嫌われそうで。特に女性が怒るとすぐ「ヒステリー」って言われますから。ヒステリーは精神医学用語だけど、俗に使われる場合は、女性が感情的になってキーキー喚いたり暴れたりする様子をさします。

でも、怒っている女性で実際そんな状態の人なんて、めったに見かけません。テニスプレイヤーがラケットを叩き折ったりしてますが、それだってちゃんと試合続行してますからね。女性議員が怒りの演説をしているのも、意味不明の喚き声とは違います。

つまり俗にヒステリーって言葉を使う人は、怒っている女性が何を言っているかを聞く気はないんです。女性が怖い顔をして抗議したり反論したりしているのを見たくないだけ。これ、女性蔑視なんですよね。男性が怒っていてもヒステリーとは言われないですから。言葉の本来の意味に照らせば、男性だってヒステリーになるはずだけど、かつては女性特有の欲求不満の症状とみなされていたので、その名残なのでしょう。

「個人的なこと」は価値がない?

一昨年、伊藤詩織さんが性暴力被害を告発した時、シャツのボタンを開けすぎだと叩かれました。しかしその後も告発が相次ぎ、霞ヶ関やスポーツ界でもセクハラやパワハラの問題が明るみに出て、性暴力やハラスメントはする方が悪いという当たり前の考え方が次第に浸透しました。

今年の1月にSPA!の「ヤレる女子大学生ランキング」という記事に対して当時学生だった山本和奈さんが抗議の署名活動をした時には、詩織さんのようには叩かれませんでした。山本さんは編集部と話し合いを行い、編集部もその内容を伝えました。女性が怒って声をあげ、対話につなげる行動が賞賛されたのです。世の中は変わらないようで変わっているんですね。

「私怨だ」つまり「個人的なことは価値がない」というものいいは、人の口を塞ぐ行為です。人はみな、個人的な体験を通じて世の中とつながっています。個人的なことに価値がないなら、実感に価値はないということになります。実感に価値がないなら、借り物の理屈だけが公を語ることになります。ひとりひとりの生きる権利を守るための仕組みが公なのに個の実感が軽んじられるという、これ以上の矛盾があるでしょうか。

タレントが世の中に対して意見を述べると「政治的な発言はするな」と言われるのも実は同じ発想によるものです。タレントは私生活や個人的な魅力を売り物にしているのだから、公について偉そうに語るのは身の程知らずだ、という蔑視なのですね。

かつて意見といえば男性の意見で、人といえば男性しかカウントされなかった時代がありました。男が「公」で女は「私」の存在でした。女性は文字通り、父親や夫の所有物でした。私的な存在は公についてものを言うな、黙って従っていろという考え方は、お前は自分たちの所有物なのだから勝手なことを言うな、ということ。だから若い女性タレントであるローラさんの発言はあんなに叩かれたのです。愛してやっているのに生意気なこと言うんじゃないぞ、って。

痴漢されていた10代の「個人的な怒り」

女性蔑視は男性だけじゃなく女性にも染み込んでいます。怒る女性を叩く女性も珍しくないですね。女性は公の場ではたいてい少数派で、一人が喋るとそれが「女性の意見」にされがちです。だから、人前で怒る女性に対して「女のイメージを悪くするな」と思う人もいるのでしょう。女性を眺めるときの視線が男性化していることもあります。女性は自身に注がれてきた眼差しを内在化させて、身のうちで男女に分裂しているのです。

あなたが最近怒ったことは何ですか。多分それは「個人的な怒り」でしょう。ではそれは世の中とどのようにつながっているのでしょうか。そんなものはヒステリーだ、個人的感情だと言われるかもしれません。でもあなたがあなたの体験を語ることは、きっと誰かを勇気づけます。よし、私も語ろうと思う人が出てくるでしょう。もしも語りたくないなら、もちろん黙っていても構いません。でも、声をあげた人を応援してあげて欲しいのです。

私が今こうしてハラスメントについて色々考えている根底には、10代の頃に毎朝乗った満員電車の体験があります。痴漢との戦いでした。誰も助けてくれませんでした。ぎゅうぎゅうの車両に詰め込まれた人間がしーーんとしたまま電車に揺られ、隣同士で舌打ちしたり小突きあったり、嫌がる相手の体をまさぐったりしていました。

車両に満ち満ちていたのはいろんな人が吐き出した息と、怒り。私もそんな世界に怒っていた。大人が隣の人に八つ当たりして発散している苛立ちは、本当は何に向けられたものなのだろう。それが私の原風景です。今もそこから動けません。

でも、その「個人的な怒り」が今の「ハラスメント」はもうやめようという取り組みにつながっています。あなたも怒りを感じたら、そこに社会と通底する何かがないか見つめてみてください。

でも、あの「個人的な怒り」をこうして現在もしっかりと持っているからこそ、「ハラスメント」に正面切って向き合おうと腹を括った私がいるんだと思うんです。みなさんも「怒り」を感じたら、それを抑え込まずに、社会と通底する何かがないかじっと見つめてみてください。

【前回は…】どうせ嫉妬するなら徹底的に!

情報元リンク: ウートピ
「怒りを感じる自分」を大事にして【小島慶子のパイな人生】

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