ひがみ、ねたみ、そねみなのか、無邪気なのか。アドバイスかクソバイスか……。私たちをモヤっとさせる言葉を収集する「モヤる言葉図鑑」。
作家のアルテイシアさんと一緒に「モヤる言葉」を観察していきます。今回は「幸せ太り?」です。
Contents
“幸せ”というエクスキューズ
「結婚した当初、周りの人たちから『幸せ太り?』と言われてモヤった」。そんな話を何度か聞いたことがある。
たしかに“幸せ”とつければOKなのか?という話である。
「太った?」と言われたら「うるせえな」とグレッチを握りしめるが、「結婚おめでとう!幸せ太りですか~?(笑)」と祝福ムードで言われたら、グレッチでめった打ちにするわけにもいかない。
先日、友人のシオリーヌちゃん(助産師で看護師の性教育ユーチューバー)と話す機会があった。彼女が結婚発表した時も、YouTubeのコメント欄に「幸せ太りですか?」というコメントが多数ついたらしい。
彼女は摂食障害で苦しんだ過去を公開しているにもかかわらず。
シオリーヌちゃんの著書『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』には、以下の文章がある。
「書籍を作ると決めたとき「あの子たちに伝えたかったことをまとめた本にしよう」と頭に思い浮かべた子たちがいます。私が昨年まで勤めていた精神科 児童思春期病棟で出会った女の子たちです。
思春期病棟という場所には、さまざまな背景を持つ子がやってきます。親と折り合いがつかず家庭での生活が難しくなった子や、いじめなどが原因で不登校になった子、自分の見た目がコンプレックスで摂食障害になった子や、強い生きづらさを自傷行為でしのぎながらなんとか生き続けている子」(同書P116より抜粋)
シオリーヌちゃんによると、摂食障害で入院している女の子は本当に多かったそうだ。命が危ない状況なのに点滴を拒否する子や、点滴を引き抜いてしまう子もいて、ベッドに拘束されるケースもあったという。
そんな女の子の1人に「この点滴、何カロリーですか?」と聞かれた時に「この子たちはルッキズムに殺される」と思ったと話していた。
女の価値は美しさという呪い
拙書『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』に書いたが、私の母親は拒食症が原因で亡くなった。ルッキズムは人を殺す呪いになるのだ。
摂食障害になるのは圧倒的に女性が多いという。「女の価値は美しさ」という呪いが強力だからだろう。
米国Netflixのドキュメンタリー『ミス・レプリゼンテーション 女性差別とメディアの責任』では、メディアがいかにルッキズムを強化しているかを描いている。
同作によると、アメリカの17歳女子の78%が「自分の体に不満がある」と答え、65%が摂食障害を経験しているそうだ。
「自分の妹は見た目が原因でいじめられて、学校に行けなくなり、自傷行為をするようになった」と語る少女が「これはメディアの責任です、いつ誰が立ち上がってくれるの?」と訴えるシーンを見て、唇が紫色になるぐらい号泣した。
痩せろというプレッシャーに苦しめられて
私も女子校から共学の大学に進んだ時、ルッキズムにぶん殴られた。男子からデブだブスだと見た目イジリをされて、過食嘔吐するようになった。
『ミス・レプリゼンテーション』には「仕事が欲しければ痩せろと言われたのをキッカケに摂食障害になった」といった女優たちの証言が出てくる。痩せろというプレッシャーに苦しむのは、日本のタレントも同じだろう。
また「セクシーな女性キャスタートップ15」系の記事が量産されて、女性の仕事や発言の中身じゃなく、外見だけに注目される点も日本と共通している。
『ミス・レプリゼンテーション』には、大御所の男性タレントたちが女性のことをブスだデブだと品評する映像集が出てくる。「汚物は消毒だ~!!」とまとめて燃やしたくなるが、こういったドキュメンタリーが作られるだけマシだろう。
日本のテレビでは、いまだに堂々と見た目イジリが行われている。「容姿を笑いのネタにするな」と批判の声が上がると「今はすぐにネットで叩かれる」とボヤく人々がいるが、叩かれているのはどっちだ?と聞きたい。
容姿差別にしても女性差別にしても「昔は(言葉で人を殴っても)怒られなかったのに」とボヤく人々がいるが、昔は殴られても我慢するしかなかったのだ。
声を上げても直接殴られないネットやSNSが普及したお陰で、差別される側が批判の声を上げられるようになった。批判の声が上がることを「寄ってたかっていじめる」みたいに表現する人はよく考えてみてほしい。
加害者が被害者ぶって、同情を集めようとしたり、自身の発言を正当化しようとする。そんな保身仕草はもううんざりだ。
「俺は悪くない!!」と開き直るんじゃなく、まずは批判の声に真摯に耳を傾けるべきだろう。そして、差別についてちゃんと学ぶべきだろう。それをしないから、同じような発言を繰り返すのだ。
「何も言えなくナッチャウヨ」なんてグズってるじゃねえ
そもそも政治家やタレントなど影響力のある人間こそ「容姿差別も女性差別も許さない」とハッキリ表明するべきじゃないか。
こうした意見に耳をふさいで「叩かれたら何も言えなくナッチャウヨ」とかグズってるんじゃねえ、ブオオーッ!!と法螺貝を吹きすぎて、肺が強くなった。
肺の強い45歳児も、かつてはルッキズムに加担していた。
たとえば、褒めるならOKだと思って「美人ですねデュフ」とか本人に言ったりしていた。そんな過去の自分を反省して「人の見た目に言及しない」とJJ(熟女)べからず帖に刻んでいる。
スウェーデン在住の友人いわく、スウェーデンでは「人の見た目に言及しない」が子どもでも知っているモラルの基本で、けなすのはもちろん、褒めるのも基本NGなんだとか。
「『その服いいね』『その髪型似合ってるね』とかは積極的に言うけど、顔や体型については触れないし、『美人だね』とか発言する人も見かけない。人の容姿について何か思ったとしても、口に出すのはマナー違反、というのが常識だから」
うちの母もスウェーデンに生まれていれば、死なずにすんだかもしれない。
ちっちゃな頃からぽっちゃりで、15で肥満と呼ばれた我
褒め言葉が摂食障害のトリガーになることもあるそうだ。痩せた時に「キレイになったね」と褒められて「もっと痩せたらもっと褒めてもらえる」と極端なダイエットに走ってしまったりとか。
わかる!と膝パーカッションする我もまた、痩せたいと願い続ける人生だった。
ちっちゃな頃からぽっちゃりで、15で肥満と呼ばれた我は、スリムな人が羨ましかった。けれども、スリムな人にはスリムな人の悩みがあったりもする。
スーパースリムな友人が「『すっごく細いね!ちゃんと食べてる?』とか言われると地味に傷つく。私は胃が弱くて量を食べられないんだけど『もっと食べなきゃ』とか言われるのもつらい」と話していた。
彼女はお尻の脂肪が少ないため、堅い椅子に座ると尾てい骨が痛むそうだ。尾てい骨の存在を意識したことがない私には、スリムな人の悩みを実感することはできないが、想像することはできる。
世の中にはさまざまな人がいて、それぞれ悩みや事情を抱えている。多様性社会とは、みんなが気をつかいあう社会なのだ。それを窮屈になったとグズり続けるのか、アップデートしようと心がけるのか?
私は後者を選ぶから、友人たちと過去のやらかし反省会をしている。
同世代の女友達は「新人の頃から知ってる男の後輩に『おっさんになったね~』と言っちゃったことがある。貫禄がついた的に褒めるニュアンスだったけど、あれはダメだよね」と反省していた。
女性に言っちゃダメなことは、男性に言ってもダメなのだ。かくいう私も若い頃は男の同期に会うと「貫禄がついたな!」と腹をポンと叩いたりしていた。そんな振る舞いはお相撲さんにしてもダメである。
性別問わず、ルッキズムに傷つけられた人は多いだろう。またルッキズムに加担したことのある人も多いだろう。
私もそんな一員として、容姿差別のない社会を目指したい。そのために「人の容姿について何か思ったとしても、口に出すのはマナー違反」が常識になればいいと思う。
「違う、そうじゃない」
「幸せ太り?」と言われた時に、私だったらどう返すだろう。
関係性にもよるが、理解してほしい相手には「体型のことを言われるのは、正直傷つくんだよね」と返すと思う。そのうえで「見た目のことを言うのはやめた方がいいよ、その言葉に傷つく人もいるから」と注意できればいいなと思う。
無自覚なルッキズムについて、どう注意すればいいでしょう?と相談されることがある。
たとえば女芸人が「ブスでモテない」と自虐するネタを見て「こういうのは笑えない」と夫に言うと「○○ちゃんはかわいいから大丈夫だよ!」と笑顔で返されてしまうとか。
その瞬間「違う、そうじゃない」が発動するが、グラサンをかけて熱唱しても「褒めてるのになんで?」と相手はキョトンするだろう。
私がかわいいかわいくないとかの問題じゃなく、これはルッキズムという社会問題なのだ。という根っこを理解してもらうには、『ミス・レプリゼンテーション』を見てもらうのがいいんじゃないか。
または拙者のコラム『母親を殺した犯人はお前だ!』を読んでもらえば、ルッキズムは人を殺す呪いになると気づくかもしれない。
ブスやデブという悪口は、人の自尊心を叩きつぶす。一方で「幸せ太り?」と同様、悪意のない言葉にモヤる場面も多い。
大学時代に見た目イジリをされた話を友人にしたら「でも今はキレイになったよね」「キレイになって見返してやればいいんだよ」と言われて「違う、そうじゃない」が発動した。
「キレイになって見返せばいい」と言う人がいるが、それはいじめられっ子に「いじめられないよう努力しろ」と言うのと同じで、どう考えてもいじめる側に問題がある。変わるべきは人を見た目で差別する側、それを容認・助長する社会だろう。
「この点滴、何カロリーですか?」と聞く少女や「いつ誰が立ち上がってくれるの?」と訴える少女に向かって、私は言いたい。
これはメディアの責任であり、私たち大人の責任だと。こんな社会を変えるために法螺貝を吹き続けるから、どうか見ていてくださいねと。
(イラスト:飯田華子)
- 夫の浮気を許すのが “いい女”?【アルテイシア】
- 仕事の話じゃないのかよ「君は才能があるから…」を素直に受け取れない理由【アルテイシア】
- 「優しい旦那さんだね」にモヤモヤ…「そうです」と言えない私は心が狭い?【アルテイシア】
- 「子どもがいるようには見えない!」見た目を口にする感覚のヤバさ【アルテイシア】
- 「あなたは強いからいいよね」って、私は無敵じゃありません【アルテイシア】
- 「それ、彼氏の影響?」にため息。自分のためですと言いたいけれど…【アルテイシア】
情報元リンク: ウートピ
「幸せ太り?」ってふつーに悪口じゃないですか?【アルテイシア】