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「夫=支える側」に慣れきっていた私 立場が逆転してわかったこと

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中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

今回は、夫の身に起こったある変化で、持病に対する慣れに気付かされたというエピソードをつづっていただきました。

私の笑い話に笑わない叔父

25年間、つまり平成のほとんどを慢性腎臓病と生きてきた私。これまで何度も人間の「慣れ」という作用に助けられてきました。

慢性の病は闘病生活が長く、生涯続くこともあります。慣れることは、健全な心を保つ上で大切でした。病気に慣れなければ、私は憂うつでたまらなかったでしょう。調子が悪いからといって一喜一憂していられませんから。

例えば体調によって変化する尿の色を「七色のおしっこ」と呼んでいました。腎臓病の方はあるあるだと思うのですが、調子が良いときはノーマルな黄色。風邪をひいて体調が悪いと(潜血尿が濃くなるせいか)、赤や紫。疲れた時は濃い緑とか。「体調のバロメーターになって便利なんだよ」と、10代の私は笑い話になるように軽い調子で話していました。

ある日の親戚の集まりで、”七色の笑い話”をしたときのことです。医師である叔父に「はるかちゃん、それは明らかに異常な状態だ。深刻に捉えないと」と指摘されてしまいました。そうか、私は異常に慣れてしまったのだと、少し怖くなったのを覚えています。

長く病気と付き合っていると、症状にも慣れていきます。むくみや倦怠感、疲労感などの症状は私の体にとっては「デフォルト」でした。

25年かけて腎機能はほとんど失われたけれど不思議とそれなりに動けるし、テンションは健康な人より高いほう。「私、本当に末期腎不全なんですかね?」と主治医に冗談交じりに言うほどでした。

けれど、「はるかさんが元気にしていられるのは、機能低下した腎臓に体が慣れているからです。もし、健康な人が突然はるかさんの腎機能まで低下したら、ダルくて動けないと思いますよ」と真面目な調子で主治医は言います。

それを聞いて高山病を思い出しました。高地に暮らす人は酸素が薄くても高山病になりません。足りないなら足りないなりに体が順応してくれる。人間の体は本当によくできています。

日々の暮らしの中で薄れていく幸せ

ただし、この「慣れ」という作用は厄介なものでもあります。人は満たされた状況にも慣れてしまうからです。感謝の心を忘れ、愚かな行動を取るのも「慣れ」の仕業です。

移植当時の私は、幸せに満ちあふれていました。

幸せの理由は2つ。愛する夫の腎臓で生きるという幸せと、「もう治らない」と諦めた持病を25年目にしてようやく手放せた幸せでした。

ダブル幸せの効力はかなりのもので、普段は億劫なスーパーの買い出しにすらワクワクする。トマトやきゅうりを選んで「はぁ、しあわせ」とため息をつく。献立を考え、ちょっと手の込んだ料理をして夫の帰りを待ちながらうっとり。日常の些細なことにもときめいていました。

ところが手術の傷が癒え、痛みが消え、日常生活を難なくこなせるようになると、その幸せに慣れてしまいました。自宅にいることに、罪悪感を抱くようになりました。元気なのに自宅でダラダラしてるみたい……。

「これからは精力的に働いて、好きなことをどんどんやろう! 」夫に向いていた矢印は、外へ外へと向きはじめました。

カバンに入れたはずの免疫抑制剤がない!

移植から4ヶ月、私は通常業務に加え、月に一度の出張を再開しました。

ある日の訪問先は青森。取材を昼過ぎに終えた私は仕事仲間と「せっかくだから」と「ねぷた祭り」に繰り出すことに。夕方まで満喫して、その日のうちに東京に戻るつもりでしたが、正直、この時、私は浮かれていたんだと思います。うっかり終電を逃してしまい、しかも、そんな時に限って免疫抑制剤を切らしていたんです。

免疫抑制剤が服用できないとどうなるか。「拒絶反応」のリスクが高まります。拒絶反応は一度起きてしまうと治療は簡単ではなく、移植腎の寿命を縮めてしまう可能性があります。

そんなこと百も承知なのに。私はこんなに早く、夫の大切な腎臓をダメにしてしまうのだろうか。自分の不注意で……。

「明日の始発で東京に戻り、速やかにお薬を飲んでください」と電話口で言うのは緊急外来の医師。遠く離れた地でジタバタしても仕方がないということです。せめて休息を取って腎臓を休めてあげるべきなのに心配で眠れず、始発の新幹線でも緊張しっぱなし。家にたどり着いた時には心身ともにヘロヘロでした。

なにより心配だったのは夫の反応でした。

「なぜ人からもらった腎臓を大切にできないの? そんな人に腎臓をもらう資格なんてない」

これはあくまで妄想ですが、怒り心頭の夫の顔が移動中、何度もよぎりました。

玄関でモジモジしていると、「おかえりー!」と笑顔の夫が出迎えてくれました。「大変だったね。無事に帰ってこれてよかった」と私の頭をポンポン。夫は私をとがめませんでした。

あぁ、よかった。夫は機嫌を損ねなかったし、拒絶反応も起こらなかった。安堵した私は、翌日からまた忙しく仕事に出かけるようになりました。

今度は夫がダウンしてしまい……

しかし、移植後6カ月目に事件が起きます。毎朝7時半にキッチンに現れる夫が、起きてこないのです。「遅刻するよー」と寝室に行くと夫は横になったまま脂汗をかいていました。

夫を襲ったのは、ぎっくり腰。市民ランナーの夫が練習を再開したのは知っていましたが、腰を痛めるほど走り込んでいたとは——。

「腎移植が原因では無い」と整形外科の医師からも泌尿器科の医師からもお墨付きをいただきました。けれど心は晴れません。「腎臓が片方になったからかな? ランニングフォームが決まらない」と首を傾げながら夫がトレーニングに励んでいたのを知っていたからです。おかしなフォームで走り続ければ、腰に負荷もかかるでしょう。

つまり、ドナーにならなければ夫はギックリ腰になどならなかったかもしれない。そう思うと、どんどん心が沈んでいきました。

支える側になってはじめてわかったこと

ぎっくり腰になると、数日は動けません。お手洗いに行くのもお風呂に入るのも、人の手が必要です。「はるかさん、お願いします」と、すっかり弱気な夫がなんだか小さく見えました。

そんな夫を見ていて、私は「慣れ」がそこにあったことに気づきます。

結婚して10年。

「夫=支える側」
「私=支えられる側」という関係性に私は慣れ切っていました。

体がキツイとご飯も作らず眠り、洗濯や掃除も夫任せ。夫が「仕方ないよ。ゆっくり休んでね」と言ってくれるのを良いことに、当然のように甘えていました。

だけど……。支える側ってツライ。

逃げ場がない。なんだかお先真っ暗な感じ。夫が黙って担ってくれていたプレッシャーを、はじめて感じることができたのです。

「慣れ」とは怖いものです。腎移植という、あれだけインパクトがあることをしても、私は夫への感謝の気持ちを忘れ、大切な腎臓を酷使してしまったのですから。そんな自分が怖い。私は何かを取り戻すように夫の腎臓がはいった右側のお腹をさすります。当たり前にそこにあるからといってないがしろにしてはいけない。夫と立場が逆転して改めて気付かされました。

たまにはゆっくり休んでね

たまにはゆっくり休んでね

(もろずみはるか)

情報元リンク: ウートピ
「夫=支える側」に慣れきっていた私 立場が逆転してわかったこと

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