『いつもポケットにショパン』や『天然コケッコー』『花に染む』などで知られるマンガ家のくらもちふさこさん。
1972年に『メガネちゃんのひとりごと』でデビューして以来、少女マンガ界の一線で活躍してきました。
そんな47年間のキャリアについて、くらもちさん自身が語り下ろした初めての自伝『くらもち花伝 メガネさんのひとりごと』(集英社インターナショナル)が2月に発売されました。
同書について「これまでの私だったら引き受けなかった」と話す、くらもちさんに前後編にわたって話を聞きました。
初の自伝を出版した理由は…
——くらもちさんは1972年に『メガネちゃんのひとりごと』でデビューされて、今年でマンガ家生活が47年を迎えるそうですね。今回、初めての自伝を出そうと思った経緯を教えてください。
くらもちふさこさん(以下、くらもち):私自身はマンガを描くことが仕事ですので、自分の私生活や創作の裏側を知っていただく必要もないというか、そういうマンガ家ではないと思っていたんです。
なので、今回のお話もこれまでの私でしたら、ちょっと首をかしげてしまうような企画ではあったんです。
でも、年を取るにつれていろいろな記憶を喪失していったり、この本にも書いた通り、脳腫瘍の手術をした影響の有無はわからないのですが、物忘れがひどくなってきたりしていたんです。
そんなときにこのお話をいただいて、自分の記憶が薄くなっていくことに関して少し書き留めておくのが仕事になってもいいのかなと、1回だけだったらいいのかなと思いました。
——ちょうどタイミングが合ったんですね。
くらもち:そうですね、「今」だから出させていただいた。これから先になると、どんどん忘れていっただろうから本にもならなかったと思うし、ましてやこれより前にいただいた企画だったら「私はそういうマンガ家ではありませんので……」で終わったと思います。ちょうどこのタイミングだったのでやらせていただきました。
昨年、私のマンガをNHKの連続テレビ小説『半分、青い』で劇中マンガとして使っていただいたのですが、その関係で週刊誌の取材を受けたんです。
マンガ家になったきっかけや当時のアパート暮らしのことなどいろいろ詳しく聞かれたのですが、まったく浮かんでこなかったんです。「これはまずい」と思いました。
親や妹などまわりの人に昔のことをいろいろ聞いて大騒ぎだったんですが、そういうふうに記事になったものを見て自分としては「そんなに悪いことではなかったな」と思ったんです。自分だけでなく、みんなとの思い出を共有することにもなったなって。それもあって、自分のことや作品についてこういう形で残しておくのもいいのかなと思いました。
「何か一つでも拾っていってほしい」本に込めた思い
——語り下ろしということですが、マンガではない本を作るのはいかがでしたか?
くらもち:読者の方に「買って読んでよかった」と思っていただくには、どういうのがいいんだろう? と考えるようになりました。読み終えたときに、何か一つでも心に残ったり、気持ちが変わったりする部分を作るにはどうしたらいいんだろう? と悩みましたね。
私の語り下ろしを元に本を書いてくださったライターの花田さんにも「普通に私の過去の思い出話を書くだけじゃ、面白くもなんともならないから、例えば、マンガの小ネタ集的なものはどうかしら?」と提案したり、ボツになった案や、ストーリーには直接関係ないけれど、作者の私がこだわった細かい部分のエピソードを入れてもらったりしました。
——最後の章はくらもちさんの作品解説ですね。小ネタや裏話も収録されていてファンにとってはすごくうれしい作りです。もちろん、最近くらもちさんを知った人にとっても作品の概要を知ることができるので、次に読む作品を選ぶためのガイドになると思います。贅沢な一冊ですが、マンガを描くのとは違いましたか?
くらもち:違いましたね。やっぱりマンガはすべて自分の言葉なので、自分が動いているのと変わらないんですけれど、インタビュー本は、確かに自分の言葉ではあるんですが、自分もスタッフの一人であるという感覚でした。
そして、自分のマンガよりも読者を意識していました。マンガは、ウケてくれる人はウケてくれるかな? くらいにしか思ってないんですよ。でも、活字本のほうは、何か一つでも拾っていってほしいと思ってしまうんですね。
改めて振り返ってみると、本当に難しいお仕事でした。最初で最後だと思います。
——普段の生活で「書き留める」ことは?
くらもち:一切しません。メモ魔の方っているじゃないですか。特に理由もなくメモしてしまうっていう。私は逆で、若いときから何でも頭の中に残していく人間だったので、消えてしまったものはそのレベルだと思っているので、残ったものが一番大事だと思っていました。でも、年を取るにつれてそんなことを言っていられないな、と。
マンガを描くのは生活の一部
——47年間、ずっと一線で活躍するというのは想像も及ばないくらいの次元のことで、本当にいろいろあったと思うのですが、マンガを描くのをやめようと思ったことはありますか?
くらもち:加齢でマンガを描くのが辛いというか、目が見えてこなくなって細かい作業ができなくなってきているので、正直「限界」を感じることはあります。
でも、体のこと以外でマンガをやめたいと思ったことはなかったです。精神を病んでもマンガを辞めようとは絶対に思わなかったです。
やっぱりマンガが好きだから。私は、自己表現がずっと下手でマンガが一番自己表現ができるものだから。
私の中ではマンガを描くことが生活の一部だったので、生活をしているということなので、「生活をやめる」というのはないじゃないですか。そういうことです。
※後編は4月4日(木)公開です。
(聞き手:ウートピ編集部:堀池沙知子、撮影:宇高尚弘)
- 吉本ばななさんから自分のことがわからない貴女へ「自分の中の“違和感”を大事にして」
- 吉本ばななさんに聞いた、傷との向き合い方「傷があるなと認識するだけ」
- “永遠の後輩”でいたいって思っちゃダメですか? 酒井順子さんに聞く
- 「安心しておばさんになってください」阿佐ヶ谷姉妹の“これから”と不安だった“あの頃”
- 「おっさんへの“媚び”に得はなし」働き女子が30歳までに知っておくべきこと
- まだ昭和なのかな…働く女子に聞いた「平成」で終わらせたい職場の習慣
情報元リンク: ウートピ
「マンガは生活の一部」47年のマンガ家生活で初の自伝を出版【くらもちふさこ】