東京・吉祥寺にある人気パン屋「ダンディゾン」と「ギャラリーfève」を営む引田かおりさんのフォトエッセイ『「どっちでもいい」をやめてみる』(ポプラ社)が4月に発売されました。
同書では、引田さんが気持ちよく生きるために選び抜いた器や洋服、長年集めたかごやガラス製品などの「お気に入り」がたっぷりと紹介されているほか、引田さんが「どっちでもいい」をやめたきっかけについても綴(つづ)られています。
引田さんにお話を伺いました。
まずは「選ぶ」練習からしてみる
——まずは『「どっちでもいい」をやめてみる』を執筆された経緯から教えてください。
引田かおりさん(以下、引田):ギャラリーとパン屋を営みながら、たくさんの方々と接しているうちに、小さなことから大きなことまで、「どっちでもいい」という生き方をしてる人が、実はすごく多いのではないかと実感するようになりました。でもせっかくの人生、大切な判断を人任せにしているのは、本当にもったいないことなのではないかと思って、「何か本を作りませんか」とお声をかけていただいたときに、「『どっちでもいい』をやめてみるというテーマはどうかしら?」 と担当編集さんに提案して始まりました。
——他人任せにしている人が多いと感じますか?
引田:そうですね。私はギャラリーを営んでいるのですが、たとえ自分が手にしたものを「良い」と思っても、誰かの後押しがないと、自分で判断しかねる方が少くない印象があります。「どれが一番売れていますか?」と、周囲の評価や評判を気にしている方も多いですね。
若い方と話していても「幸せになりたい」とは思っているけれど、幸せに向けて本気で行動している人が少ないように思えて……。自分で決断しないと、自分の人生を生きた」と思いにくいんじゃないかなと思います。
だからと言って、自分で選ぶ習慣がない人が、いきなり大きな決断をするのは難しいですよね。どんなものごとでも、やっぱり練習が必要だと思います。お菓子屋さんのショーウィンドウでどのケーキを選ぶかとか、たくさんの洋服の中からどれを選ぶかとか、そういうことを積み重ねていくことでできるようになるはずです。
「これが一番人気です」というものばかり手にしていると、いつの間にか自分の本質的な望みが見えにくくなってくるんじゃないでしょうか。
——「今日は何を食べようか?」から始めるのでも……。
引田:いいと思います。「選ぶのが苦手」と思っている人も実は選んでいます。今日のランチはどうするとか買い物に行ってリンゴにするかバナナにするかで選んでる。選ばなくては暮らしていけないと思います。でも「自分は選べない」という思い込みがあるから、「私はどうしたいの?」と問いかける練習が必要なんですよね。些細(ささい)な事柄の決断を積み重ねることが大事だと思います。
——本では引田さんの「お気に入り」が写真で紹介され、かつなぜそれを選んだのかも引田さんの経験や考えを交えて綴(つづ)られています。本を書く上で意識されたことは?
引田:あまり説教くさくならないようにしたかったです。読む人が「はいはい、もうわかったから」と言いたくなる感じの本にはしたくなかったのと、「コロナ禍の世の中で明るい気持ちになれればいいね」と担当編集さんと話しました。ページをめくるだけでも、ワクワクする要素があればいいと思ったので、写真が多めの構成にしました。
失敗することもあるけれど…
——「これがいいな」と思って買っても「失敗だった」と後悔することもあります。引田さんでも失敗することはあるのでしょうか?
引田:私も失敗はたくさんあります。でも失敗を恐れないほうだと思いますね。そして、失敗してもあまり引きずらない。失敗したことを「学習した」と思うようにしています。「自分に合わないことがわかってよかった」みたいな。
——失敗を恐れるあまり、どうしても人気や評判が気になってしまいます。SNSで口コミも細かくチェックするのですが、だんだん自分が本当に欲しいものがわからなくなってきてしまって……。
引田:先ほど「どれが一番売れてるか?」を気にする人が多いと言いましたが、他者の基準も大事なんですよ。評判がいいものや人気が高いものにはそれなりの理由がありますから。でも買ってみて自分で検証するのも大事なので、そこはあまりこだわってないです。ただ、私の場合、基本的には自分自身の欲しい気持ちを優先させて、欲しいと思ったらあまり我慢はしないですね。
自分で選ぶ=自分で責任を取ること
——「自分で選ぶ=わがまま」なのかなと思ってしまうこともあります。与えられたものや環境に感謝してないみたいに感じてしまって……。
引田:「自分で選ぶ」ということは、同時に「自分で責任を取る」ということでもあるんです。選べない、誰かに決めてほしい、誰かの言う通りにするって、自分で責任を取らなくて済むんですよ。ある意味とっても謙虚で、奥ゆかしくて、良いことのように聞こえますけど、その本質をよく分解していくと、自分で責任を取りたくないのかもしれません。別にどのケーキを選んでもいいんですよ。でも実はそんな日々の些細(ささい)な決断が大きなことにつながっているのかもしれないと思うんです。
誰と結婚してどこに住んで何の仕事に就くか……そういう大切なことを人任せにはしたくないですよね。 流されたまま生きてきて、どこかで「私はこの人と本当は結婚したくなかった」「こんなところに住みたくなかった」「こんな仕事は嫌だった」というのは、自分の人生に責任を取っていないことになるのではないでしょうか。
かつては私も「妻だから」「母親だから」を言い訳にしていた時期がありましたが、練習をくり返していくことによって、「自分がこれを選んだのだ」と、誰のせいにもしないことが、私にとっては気持ちよく、清々しいことなのだと気付くようになったのです。
「良い」「悪い」のジャッジをやめてみる
——病気や大事な人を失ってしまうなど、自分では選べないこともあります。自分ではどうにもできないことが起こったときはどう対峙(たいじ)していますか?
引田:極論ですけど、病気にしても、どこかで自分が必要としていたと考えたいと思ってます。人はつい「良いこと」と「悪いこと」と分けて考えがちなんですけど、なるべく分け隔てを少なくしていきたい。
例えば誰かに会ったときに、自分の得意不得意、好き嫌いで、「この人はいい人」とか「嫌な人」とか、つい色をつけて見てしまうと思うんですよね。
でもありのままを受け入れられたら、AさんはAさんだし、BさんはBさんでしかないんです。誰しも病気が悪くて元気が良いって考えがちですけど、長い人生を振り返ったときに、あそこで病気をして乗り越えたことで、自分が人間として奥行きが出たし、人にも優しくできて、本当に良い体験だったと捉えることもできるわけですよね。
ある理論物理学者の方が、「未来は過去を変えられる」とおっしゃったんですけど、私の座右の銘でもあるんです。大学受験に失敗しても、失恋しても、そのときは最悪な出来事だったと思っていても、今、未来の自分が「良し」と思えるんだったら、あの経験があって良かったって思えますよね。
——確かに何かが起こると瞬間的に「良い」「悪い」でジャッジしちゃいがちです。
引田:もちろん私も、ついジャッジしがちですけどね。でも例えば病気で療養することになったとしても、原因は働き過ぎかもしれないし、何かすごく我慢が積み重なっていたのかもしれないし、食生活が乱れていたのかもしれない。何かを見直すきっかけにはなるわけですから、あながち悪いことではないとは思っています。
——コロナ禍で引田さん自身に心境や生活の変化はありましたか?
引田:やっぱり今までいろいろなことをやり過ぎてたんだなと思いました。人と会うことも、出かけることも、やり過ぎていた。仕事にしてもみんなで満員電車に乗って決まった時間に出社しなくていいと気付いた人もいると思います。いろいろ制限ある中で、自分の気持ちをどうやったら前向きにできるのかをすごく考えました。その中で本づくりができたのは、すごくありがたかったし、意味があったのではないかと思っています。
コロナをきっかけにいい方向に変えていけることもあると思います。コロナをただの疫病で終わらせないためにも、この機会に社会の仕組みだったり自分の生き方だったり、よくしていけることはたくさんあると思います。
——改めてこの本を読む人に向けてメッセージをお願いしたいです。
引田:「どっちでもいい」をやめる、がテーマの本ですが、「すぐにできなくても大いに悩んで、大いに迷って、ジタバタしていいんですよ」と伝えたいです。私はたまたま「『どっちでもいい』をやめる」にたどり着きましたけど、それぞれたどり着く場所があるはずなので。そしてそれは、今日という1日を積み重ねて到達するところだと思います。
今の自分の気持ちにウソをつかないことと自分がどう世界と調和していくかを考えて、自分が元気で幸せになる方法を見つけることができれば本当にうれしいですね。
(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
「どっちでもいい」をやめてみて気付いたこと【引田かおり】