“機能的なヒートテック”よりも”肌触りのいいインナー”を選んできた
合理的な生き方を追求できない人生だった。人の人生をつくっていくのが、それぞれが置かれた環境と、そのときどきの選択だとしたら、自分はいつも勘と気持ちを優先してきた。
こう書くと感性で生きてきたように聞こえるけど、大学時代の経験・社会人生活で生業にしている仕事の関係で、どちらかというと人並み以上に論理的な考え方をする人間である。そう見られることも多い。
だけど、「あえてやる必要もない選択」を取ってしまうのだ。
たとえば高校とか大学を最後の選択で偏差値で選ばなかったり(親は残念そうだったけど!)、直近では転職先を年収やステータスで選ばなかった。あるいは若い頃から恋愛対象も他の人が羨ましがるような人を選ぶことにいっさい興味がなかった。多分どこか自分の本音が「そっちじゃない」って声をかけたんだと思っている。
これはカッコいい話では決してない。「どう考えてもこっちのほうが得だろ」「短期的にも長期的にもまちがいなくこっちが良い選択だろ」と他人から言われる。自分でもそう思う。それによって境遇的にも労力的にも金銭的にも損をしてきたことは多い。
それでも後悔をしていないのは、頭で考えたことは所詮その程度のものというワリキリがあるからだ。いかに理屈で考えて正しくても、しっくりこないものはしっくりこない。ヒートテックのほうが機能的でも、肌ざわりは天然繊維のインナーのほうがとてつもなく気持ちいい。いま着ているインナーひとつをとってもそんな選択である。
「社会的にベターな方ではなく、「自分にとって心地いい」ほうを。そんな考え方が自分のなかの根っこにあるような気がしている。
「一周まわって」いろいろ楽しむ
さて、英語の”Dare”というニュアンスがすごく好きだ。
荒っぽく訳すと、「あえて」って感じかな。もっと意訳すると「やる必要もないのに」「けしかけられたから」ってところか。
それは誰にけしかけられているのか? 他人ではなく、自分であるべきだと考えている。
そういえば年齢が近い担当編集さんと「一周まわってアリに感じますよね」みたいな話をすることがたまにある。これはdareのニュアンスに含めて良いんじゃないだろうか。
ちょっと前だったらバカにしてやらなかったようなことを、「一周まわって」なんてエクスキューズを挟みながら、せっかくだから楽しんじゃう。30代中盤は変なプライドを捨てて、わりとそんなことを楽しむフェーズなんじゃないかな。
20代の時はカッコをつけてしまったり、斜に構えてしまっていた対象についても、もう一度あたらしい気持ちとか考え方で触れなおせる絶好の機会なんじゃないかと考えている。
ぜんぜん関係ないけど、ミーハーなのに流行っているものに抵抗感がある自分は、『愛の不時着』も『梨泰院クラス』も『鬼滅の刃』も見れてない……。一周まわるどころか周回遅れじゃねーか。話が逸れましたが。
「あえて」の先に見えるもの
「自分にとって心地いいほう」を選ぶことに対して、こんな言説もある。
たとえばビジネス書をひらくと”自分をより良い方向に変えていく”には、”現状の自分では選択しない行動を取っていく必要がある”みたいな。無意識の自分の選択は現状の延長線上だから、いまの自分にしっくりこなくても、自分が取らないような行動を取るほうが、自分を成長させたり、変えてくれたりするってことらしい。コンフォート・ゾーンからの逸脱って表現されますよね。
まぁ、それはそうなんだけど、そもそも人って成長しなくてはいけないのか? という話もあって、もはや21世紀的……いや、令和的な考え方じゃないような気がしている。
成長、拡大していくこと。あるいは正しさ、優位性。それが本当に必要なことか、最近はみんな疑問に思っているんじゃないだろうか。そうでもない?
ただ、俺の考え方なんだけど、自分は何を大事にしようとしているのか? という信念の部分をクリアにしておかないといけないと思ってる。もちろん自分自身を含めての実感なんだけど、人って自分で決めた選択でも、日々を過ごすなかで容易にブレていってしまうから。
たとえば、妻との時間を優先したかったはずなのに、仕事でさらなる報酬を求めたり、会社の期待にもっと応えるために時間を浪費することはナンセンスだということである。
もっと言えば、俺にとって「やる必要もないのにやってしまう」ことは、自分自身をさぐる鍵だと考えている。そこには世間の価値観と自分の価値観に乖離(かいり)が発生している。折り合いがつけられないときに、「言葉では上手く言えないけど、しっくりこない」って感情が湧いてくるわけだから。
こういう考え方は少数なんだろうか。たとえば「結婚しない」って選択肢もそうだと思う。俺は結果的に結婚をしたけど、同棲のままずっとパートナーと暮らしている人とかもすごく気持ちが分かるからね。
自分にけしかけられて、やる必要もないのにあえて選んでしまう対象。やってしまう事柄。そのことに対する自分の選択に酔う必要はないし、誰かに対して、突っ張る必要もない。
そのかわり「自分ってなんでその選択肢を取ってしまったんだろう?」という問いをふんわりと、ゆっくりと突き詰めることは意味がある。そこには多分、自分にとっての幸福感とか、価値観の深いところが見つかるきっかけになるんじゃないだろうか。そういう「あえて」を大事にしていってほしいなと勝手に思っている。
(イラスト:山本さほ)
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