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私たちの中の“森さん的なもの”を問い直す 分断じゃない「多様性」の可能性【山口真由】

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信州大学特任准教授でニューヨーク州弁護士でもある山口真由(やまぐち・まゆ)さんによるエッセイ『「ふつうの家族」にさようなら』(KADOKAWA)が2月に発売されました。

多様な家族のかたちや生き方にスポットが当たりつつある現代で、ハーバード・ロー・スクールで家族法について学んだ山口さんが「そもそも家族って何だろう?」と考えた内容がつづられています。山口さんに話を聞きました。前後編。

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みんながそれぞれの場所で闘っている

——『「ふつうの家族」にさようなら」は山口さんが不妊治療クリニックで「卵巣年齢が50歳」と告げられたところからスタートします。この本を書いた経緯について教えてください。

山口真由さん(以下、山口):「家族」は長らく私が葛藤していたものでした。自分を育ててくれた「ふつうの家族」に感謝する反面、「ふつうの家族」を営んでいない今の自分を肯定したかった。でも、未婚で子供がいない今の自分を幸せと言い切ってしまうと、自分を育ててくれた家族はどうなのよ? と。その葛藤を解消したいという気持ちがずっとありました。

——書き上げてみていかがですか? 最初はふつうの家族像に疑問を投げかけるところから始まって、だんだんと山口さん自身の考えも変わっていったのかなと思いました。

山口:最初は「多様性」に乗っかって、「こんな家族もいます」「あんな家族の形もあります」とある意味、「ふつうの家族」にチャレンジしてみたいと思っていたのですが、書いていくうちに多様性の時代というのは、伝統的な家族観を持つ人たちも含めて、すべての人たちにとって居場所がある状態になったほうがいいんだろうなと考えが変わっていきました。

みんな葛藤を抱えているし、それぞれがその場所その場所で闘っている。「結婚すれば幸せ」「子供がいれば幸せ」なんていうウルトラCは人生にはないんだから、日々誠実に人との関係を積み上げていくこと。すべての人にエールになればいいなという気持ちに変わりました。

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「いろんな家族のかたち」は大事だけれど…

——ウートピでもこれまでもいろんな家族の形を取り上げてきました。多様性は大事だし、編集方針としても変わらないのですが、一方で「ふつうの家族」を営んでいる人が罪悪感を持ってしまうような発信の仕方には注意深くなければと思います。そもそも「ふつうの家族」なんていないのかもしれないですが……。

山口:今の多様性の議論というのは「ふつうの家族」を前提にしたところの距離感で存在していて、“今っぽい都会的な私”というのが透けて見えるのですが、「それってずるいんじゃない?」と思うんです。ある時は「私は少数派です」と被害者っぽい顔をして、ある時は「私は先駆者です」と得意になって、両者の間を行ったり来たりする立ち位置に私自身は甘んじたくないと思いました。すべての人に対して等距離であることってできないのかなって。

今の私の研究テーマが、「普遍を探せ」なんです。アメリカでは「普通の家族」と「普通じゃない家族」が対立してしまっている状態で、「普通の家族は切って捨てる」論文が多いんです。

——「典型的な家族」と「いろんな家族の形」の二項対立になっているんですね。

山口:アメリカでも多様性を訴える人たちが多様性を理解しない者に対して、吊るし上げのような雰囲気になっています。なんて言うのかな? 私の中学校時代と同じ雰囲気なんですよね。

ハーバード時代の知り合いの男の子で、中国出身の友人がいたのですが、彼がボーイフレンドをアメリカに呼んで中国ではまだ認められていない同性婚をしたと公表した途端、みんなが一斉にSNSで賛辞を送り始めたんです。「私はあなたを理解している」ことを、なるべく格好よく、なるべくユニークなメッセージでみんなが見ているところで伝え続けなければいけない圧迫感。

中学校のときと似た空気感を感じました。中学生のときの“ふつう”であることが大事だったけれど、今は“ふつう”じゃないことを理解する側にいることが大事。そんな圧迫感があの頃と同じ強さでドーンときて、すごく窮屈だなと思いました。

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自分の中にある“森さん的なもの”

——日本のSNSでも同じ現象が見られます。山口さんが感じた圧迫感というのは同調圧力のようなものなのでしょうか?

山口:そうですね。例えば、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗元会長の女性蔑視発言問題で、発言自体はあってはならないものでしたが、賛成か反対かどっちだどっちだと突きつけられるのもすごく嫌でした。森さんの発言はもちろん問題ですが、“森さん的なもの”を作ってきた社会の構造にも問題があります。

——そうですね。自分たちの周りにも“森さん的な人”はいます。例えば会社で「女は〜」って女性への偏見を撒き散らす人に対して「それは偏見ですよ」と言ってきたか? それを許さない空気を作ってきたのか? と男女問わず自分自身に問い直す必要があると思いました。

山口:自分の中の“森さん的なもの”を問い直して生き続けなきゃいけないのに、私はこっち側じゃないんだ! だから森を攻撃するんだ! という流れになるのは怖いなと。

多様性がある社会は、絶対に分断ではないはずです。だから、「違い」を探すより、むしろ「同じ」を探しに行くほうが大事なのでは? と考えています。私は家族法が専門ですが、「ふつうの家族」を批判するのではなく、「ふつうの家族を」一歩掘り下げたところに、いろいろな家族に共通する「同じ」を見つけたいというのがテーマです。

——そこで質問なのですが、先日友人と食事したときに結婚の話になって保守的な考え方をするなあと思い、つい彼女を問い詰めてしまいました。でもあとから「もしかして互いの結婚の定義そのものに食い違いがあったのでは?」と思ったんです。同じテーマの話をしていてもそれが意味するものや定義に食い違いがあったら、そもそも会話は成立しません。私が彼女に問うべきだったのは、「あなたにとって結婚ってどんなもの?」とまず前提を確認することだったのかなって。抽象的な例なのですが、それが山口さんがおっしゃる「同じ」を探すということでしょうか?

山口:そうですね。それが正解だと思います。でもそれってけっこう難しい。結婚、親子、家族――こういう問題で意見が対立するとつい感情的になってしまう自分がいます。そういうとき、私は相手よりもむしろ自分に問いかけるべきなんだと思います。「なにをいらだってるの? 相手が古臭いから? いや、違うでしょ。あなたのなかにもそういう保守的な価値観があってそれに決別しようと躍起になって相手の意見をけなしてるんでしょ」って。

森さんを叩くよりは、自分のなかの“森さん的なもの”に自覚的な人間でありたい。そういう小さな積み重ねが、二択を迫られる時代に分断を許さない社会を作っていくことにつながるんじゃないかなって。

向こう側から世界がどう見えるか

——第2章の「結婚」では同性婚を認めた判決と反対した判事たちの言い分が書かれていました。ほかの章でもそうですが、両者の主張やその言葉が社会でどう扱われてきたのかをきちんと踏まえて書いているのが印象的でした。

山口:私は「多様性万歳!」という考え方にどうしてもうまく乗れないんです。だって「多様性は正しい」という人たちが、多様性に理解を示さない人を、多様のなかの一様に入れていないのってアンフェアじゃないですか。

おそらく、私は彼・彼女らが持っている間違いのない正義に対して、本当に強い違和感を持っているんだと思います。だから、一度でもいいから、自分たちの側ではない向こう側の視線から世界がどう見えるか見ておいたほうがいいんだろうなと。

「多様性」や「SDGs」の流れを見ていると、社会はこちら側に味方してくれるけれど、本当はもっと社会は複雑なんじゃないのかなと思います。いろんなところでいろんなふうに傷ついている人たちがいるはずで、「ふつうの家族」がマイノリティになる局面だっておそらくあるんだろうなと。

複雑なものを複雑なまま理解する。だからそういう意味では、SNSでも140字でちゃんと複雑なことを話すのは難しいので、本にまとめたいと思いました。

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(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)

情報元リンク: ウートピ
私たちの中の“森さん的なもの”を問い直す 分断じゃない「多様性」の可能性【山口真由】

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