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「母は他人への共感で生きた人」内田也哉子さんが母・希林さんから受け取ったバトン

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「死なないで、ね……どうか、生きてください……」「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」

亡くなる2週間前の2018年9月1日、窓の外に向かってそうつぶやいていたという樹木希林さん。そんな母の言葉をきっかけに娘の内田也哉子さんが、不登校について考え、対話し、その末に紡ぎ出した言葉をまとめた『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)が8月2日に発売されました。発売から1カ月たち、累計発行部数は8万部を突破。各所で話題を呼んでいます。

内田さんが母・希林さんから受け取ったバトンのこと、子どもに対して私たち大人ができること、「樹木希林の娘」として生まれたことについて……伺ったお話を3回に分けてお届けします。

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母が「おおいに使って」と言ってくれるような気がした

——『不登校新聞』編集長の石井志昂さんとの対談で「母はさまざまな出版依頼をすべて断っていたので、書籍化には悩みました」とおっしゃっていましたが、今回の書籍化を決心した理由について改めてお聞かせください。

内田也哉子さん(以下、内田):本にも書いた通りなのですが、母は生前、どんな出版依頼があってもことごとく断っていました。母自身、自分の言葉を残すということにすごく抵抗があった。

残された者としてもとても悩みました。でも、「不登校」に関しては、母が最期まで気に掛けていたことのひとつでもあるので、今回のご依頼をうまく利用するほかないなと。むしろ、「そうしてくれ」と母が言っているような気がしました。「9月1日のことに関しては、おおいに使って」と。

何より私自身、三児の母でもあったのに「9月1日」や「不登校」の現実を知らなかったし、考えてもこなかった。それを恥ずかしく、また悔しいと思いました。だから、まずは私がそれを学ぶことから始めようと思いました。そして、その現実を知らない人がまだこの社会にたくさんいるのであれば、一緒に知っていきたいと思いました。

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——先日、この本の編集を担当した天野さんと石井編集長にお話を伺った際に、内田さんが樹木さんが残した言葉について思い出したのは、天野さんと電話でお話をしていたときだと伺いました。

内田:闘病の最後の1カ月は、細かいことが記憶から飛んでしまうくらい、神経を張り詰めっぱなしでした。そして母が亡くなって、ちょっとたったくらいに、このお話をいただきました。

「樹木さんが生前、不登校についてこんな話をしていたんです」と。インタビュー原稿を送ってもらって、ハッと我に返りました。「そうだ、亡くなる直前、母はこういうことをつぶやき、涙を浮かべていたんだ」と。切実な思いを最後に残していったのだと、思い至りました。

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「この人たちはなんて正直に生きているんだろう」と教えられた

——内田さんが、石井さん、不登校経験者のEさん、バースセラピストの志村季世恵さん、日本文学研究者のロバート キャンベルさんと対談して「9月1日」について理解を深め、思索をしていく様子がまるで「旅」のようだなと思いました。今回の「旅」を通してご自身にどんな変化がありましたか?

内田:変化というか、自分にとって一番大きかったのは、「衝撃」でした。「学校に行けない」ということが、なぜ死につながるのかが、本当に理解できなかったし、だからこそその理由を知りたいと思いました。

自分が子育てをしていても思うのですが、ひとりの人間を育てるといったときに、親はどれだけの愛を注いでいるか、逆に、それによってどれだけの愛をもらっているか……。そんな営みの中で、「1人」という数字にどれだけの重みがあるか……というのは切実に感じることなんです。

それなのに「9月1日」というたった1日で、百何十人もの子どもが自殺をしてしまうという現状を知って、もどかしさを感じるとともに、何とかしたいという、それこそ悲鳴にも似たような気持ちになりました。

そして、実際に不登校経験者の石井さんやEさんにお会いして、「当時はどういう感情だったのか?」とお話を聞いていくと、学校に行けなくなってしまう人たちが、ある種、センシティブに世の中や自分のことも見つめていることが分かりました。

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自分自身を振り返ってみても、ちょっとしたイジメを経験したり、学校に行きたくないと思ったりしたことはありますが、あまり深いところまで行かずに済んだというか、取りあえず、表面的に進んできてしまった感じがあるんです。

もちろん、そういうたくましさも生きる上では必要なんでしょうけれど、一方で、ある意味「浅はかさ」のようなものが自分の中にあったことに気付き、「この人たちはなんて正直に生きているんだろう」と教えられた気がします。

それに、これ以上ないというくらいの深い闇を経験したからこそ、闇から這い上がって戻ってきたときのパワーというか、生きる使命感。「この経験を決して無駄にしたくない」という人間力のようなものを感じました。

そういう人たちと出会う「旅」を経たことで、これまで以上に、人間って、今ここに存在しているだけでいとおしい存在なんだな、という気持ちが強まりました。だからこそ、「死にたい」と思っている子たちの自殺を食い止めたい、そのためにはどうすればいいのだろうか? とも思うんです……。

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常に他人への共感で生きていた母

——「9月1日」をめぐる「旅」を通じて、希林さんの「新たな側面を発見した」ということはありましたか?

内田:この人は死の直前までも、周りの人のことに思いを馳(は)せていたのだろうなと思いました。生きているときからずっとそうでしたから。でも、私はそういう母を見ていて寂しい思いをしていました。

母は、周囲や他人に対しては、時間も心も、多くのエネルギーを投入するタイプでしたが、逆に家族に対しては、ある一定の距離感を持って接していたんです。私ともあえて距離感を取っていた、というのは本人からも何となく聞いていました。距離が近すぎるあまりに、子どもが息苦しくならないように、つぶさないように、衝突しすぎないようにしていたんだと。

だから、私の子育てについても「あなたは子どもと近すぎるわよ」「もっと放っておきなさい」とよく批判してきました。

そんな母だったものですから、私は私で早くから孤独を覚えてしまったし、与えられた「自由」を重荷に感じていました。そのことに何度も葛藤しました。

実際に、家族以外の、それこそ仕事で今日初めて会うような人が、「実はこういうことがあってね」なんて撮影の待ち時間に話し出したりすると、母はすっかりその人の話に共感してボロボロ泣いていたりするんですよ。

でも、母が、自分自身のことで悲しみ、悔しさを噛(か)みしめ泣いているような姿は、人生で一度も見たことがなかった。どれだけ理不尽なことが起きても、そうなんです。常に他人への共感、シンパシーで生きている人でした。

だからこそ、死を目前にして、無力な自分になっているにもかかわらず、あんなにも力強いメッセージを子どもたちに送り続けようとする意思を持っていたことが、我が母ながらすごいなと思ったし、軽い気持ちではなかったはずだと思いました。

そういう意味で今回、「母の新たな側面を発見した」ということはなかったですね。母は最後まで一貫していました。

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※第2回は9月15日(日)公開です。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、撮影:宇高尚弘)

情報元リンク: ウートピ
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