恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。
第14回は「学歴」がテーマ。ないよりはあった方がいいかもしれないけれど、いまだに「ハイスペ女子」を敬遠する社会の空気もなくはない……。そんなオトナ女子と学歴をめぐる複雑なカンケイについて、小島さんに書いていただきました。
「人脈こそ財産」と断言する東大法学部卒の友人
今回のお題は女子と学歴。
といえば、最近の東京医科大学に端を発する入試の際の理不尽な点数操作が記憶に新しいですね。私の周囲にも、勉強だけは裏切らないと思っていたのに……とショックを受けている高学歴女性がたくさんいます。
まあ衝撃を受けつつも彼女たちは超一流大学を出ているので、不利益な扱いを受けてもなお生き残った猛者たちということができますが。中学から私立の一貫校で育った私には大学受験の世界は全く分からないので、ただぼんやりと「大変だったのだろうなあ」と思うだけ。
でもふと自分が就職してからのことを思ったら、男性と全く対等な待遇だったはずだけど、もしかしたら、ボーナスの査定とかで差をつけられていたのかも!?と疑念が湧いてきました。
こんな風に、一連の入試の点数操作の発覚によって、この社会のあらゆる選別や評価の場で暗黙の女子差別がまかり通っていたことに気づき、自分も知らぬ間に不利益な扱いをされていたのかもしれないと疑心暗鬼になった人は少なくないでしょう。私が信じていた男女平等って、見せかけだったのかも、ってね。
さて先述したように、私の周囲には東大法学部とか一橋とか慶應とか、ザッツ学歴社会の勝ち組!みたいな女性がたくさんいるのですが、やはりみなさん社会の各方面でご活躍です。そして何が強みだって、そういう人たちの人脈はこの世の最上層部のど真ん中に集中しているので、何をするにしても最速でショートカットできるのですねえ。
特に東大法学部出身の友人は、本当にこの人脈こそは財産だと話していました。まあ普通の人が何年経ってもたどり着けない殿上人に「私も同学部の後輩でーす」というだけであっさり繋がれたり、そんなことしなくてもすでにリアルでもFBでも友達の友達だったりするわけですから、なんでもとんでもなく話が早いのです。
あの時、大学受験していれば…
それをはたで見ていると、なるほどたくさん勉強して専門性を深めるのはもちろん大事なことだけど、卒業後のこの人脈はどんな仕事をするにつけても重宝であるなと実感します。
件の彼女は、他の東大法学部出身の知人たちと比べても格段にメタ目線で東大ブランドを上手に乗りこなしている非常に稀有かつ健全な人なのですが、いわゆる一流の学歴の持ち主にはちょっと浮世離れしている貴族マインドの人や、高すぎる学力がかえって災いしている人も少なくありません。
ふとしたやりとりで急に難しい話をし始めてマウンティングしてくる男子とか、逆にいかにも高学歴らしくないようにしなくちゃ、とバカなふりしてあらぬ方向に自意識をこじらせている女子とか。高学歴だと自意識過剰になりがちなのはきっと、世間が学歴に超敏感だからでしょう。偏差値で人間の価値が決まると思うのは間違いだけど、「高学歴=上から目線の嫌なやつ」という決めつけもおかしいですよね。優秀な人たちの能力を、社会をハッピーにするために使ってもらえるなら、素直にありがたいと思うのだけど。
中学受験しか知らない私からすると、なんか高学歴背負っている人って大変そうだなーと思うことはあります。そういう意味では、大学受験と無縁な一貫校育ちは卑屈にならなくていいかもですね。私の出た大学はそこそこのぬるい私立なのですが、いまだに母校の偏差値とか世間の評価とか、よく知りません。大学は、中高にくっついてたから特に思い入れもなく進学した、という感じ。良くも悪くも思い入れゼロです。
でもね、時々思うのですよ。やっぱりあの時受験していたらよかったかもなと。高1の時、勉強も嫌いじゃなかったし、付属の大学ではなくて他大で勉強したいことを見つけたんです。で、母に「大学受験していい?」と尋ねたら「なんのために莫大なお金と手間をかけて一貫校に入れたのと思っているの!!」と秒速で却下されて、ああそうなのか、親は大学受験がないことにメリットを感じて、苦しい家計の中から学費を出してくれているのだな、と悟ったのでした。
しかし大学2年生の時に、またむくむくと外に出たい気持ちが湧き上がり、アメリカの大学に学部留学しようと勉強し始めたら、父に「留学して戻ってきた頃には日本は就職氷河期になっているぞ。余計なことをしないで大人しく新卒で就職しなさい」と言われ、これまた断念。
果たして景気は父が言った通りになったのですが、あの時留学していた方が、明らかにその後の人生に大きなプラスになったであろうと今でも思っています。特に今こうしてオーストラリアとの二重生活を送っていると、それはもう切実に、留学しておきたかったと悔やむわけですよ。
「知を尊ぶ文化」のあるなしが人生を左右する?
ただ親としてはやはり費用の問題と、何よりも「女の子は学力よりも結婚に有利なブランド」「浪人したら傷物」という感覚があったのだと思うのです。女の子なんだから、無理しなくていいでしょう、と。お嬢さん学校を出て、稼ぎのいい男と結婚するのが女の幸せなのだから、余計な挑戦はしなくていいと。
時は90年代。男女雇用機会均等法施行からまだ日も浅く、両親は私がこうして働き続けるとは思っていなかったでしょうから、どうせ数年の腰掛け就職で寿退社するのに、苦労して高い学歴なんか手にするのは無駄だと思ったのかもしれません。地方によっては、今もこうした価値観が根強いかもしれませんね。
でも当然、先述したように女性でも高学歴は世渡りするには有利だし、全然無駄ではありません。学ぶって自分を自由にすることだし、強くなることでもありますから。
40代になってつくづく思うのは、学生時代にちゃんと勉強していた人とそうでなかった人は、中年になってからかなりの差がつくということです。真摯に学問する専門的な技術を身につけ、知を尊ぶ文化の中で育ったかどうかが、その後の人生のステージを左右するのは確かだと思います。
そのことに気づいてから、お遊び女子大生だった若き日の自分を随分と悔やみました。今思えば高名な教授の講義も受けられたのに、その価値もわからなかったのです。バカだった……ちゃんと通っておけばよかった……。でも当時は周りもぬるい学生ばかり。大学がレジャーランド化していたんですね。今どきの学生とは大違いです。
そうそう、先述の東大卒の友人から聞いてへええと思ったのは、東大には変人がいっぱいいるので、知的な刺激のある面白い友人にたくさん出会う機会があるという話。ある種の特異性を持った人が集まる環境というのは、若者にとっては確かに刺激的でしょう。頭を使うのは快楽ですから、学ぶことは視野を広げ考えを深めてくれるだけでなく、生を楽しむことでもあると思います。
女性にとって「学歴」はどう変化したか
で、だな。遅まきながら学歴の効用や学ぶことの大切さを痛感した大人たちはどうするかというと、40代50代で大学院に通ったりするんですよ。私の周りでは、もう十分ご立派ですが!という経歴やお仕事をしている人が、地道に大学院に通ったりしています。
で、子供がいようが本業が激務だろうがちゃんと論文書いて卒業するのがすごすぎるんですけど。まあでも、お金と時間とガッツさえあれば、誰だっていつでも勉強はできるということですね。という点から言っても是非みなさん、毎度のことながらパートナーとは共働きを選択して下さい!!!
ある知人は、子供が2歳の時に夫が仕事を辞めて司法試験を目指すと言い出し、蓄えもあるから5年間なら養えると判断して、夫の夢を後押ししました。で、彼女はバリバリ働き、夫は家事と育児をこなしながら見事司法試験に合格し、離婚裁判で妻の気持ちに誰より寄り添える男性弁護士としてこの弁護士インフレの時代に非常に順調なスタートを切ったのだそうな。これも彼女に稼ぎがあったからこそ。
実は私も勉強したいことはたくさんあるけど、日豪二重生活の上に働かないと夫と子供を養えないから、大学院に通うのは時間的にも経済的にも非常に厳しい。蓄えがたっぷりあって、稼ぎが減っても構わないと思える人ならともかく、うちは自転車操業だからそうもいかない。無念です……。
長くなったけど、女性だから学歴なんて必要ないかも、は過去の話。学歴は全てを解決する魔法の切り札ではないけれど、学ぶことは決して無駄ではありません。勉強したいことがあって、できるチャンスがあるなら、いくつになってもチャレンジを。
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情報元リンク: ウートピ
「学歴は財産」という東大卒の女友人に思うこと【小島慶子のパイな人生】