フランス人俳優として世界的に活躍するアリアン・ラベド監督の長編デビュー作『九月と七月の姉妹』が9月5日(金)から公開中です。史上最年少でマン・ブッカー賞の候補となった作家デイジー・ジョンソンの小説『九月と七月の姉妹』(原題:Sisters)が原作で、わずか10か月違いで生まれた姉妹のいびつな絆を描いています。
「(2人の姉妹の)“世の中にフィットできない苦しさや生きづらさのようなもの”が、この物語を通して私自身にすごく訴えかけてきた」と話すラベド監督。そして、劇中に登場する姉妹の母親について、「良い母になろうと必死にもがきながらも、思うようにはいかない。そんな複雑さをきちんと描きたいと思いました」と振り返るラベド監督にお話を伺いました。

アリアン・ラベド監督
Contents
世の中にうまく馴染めない、だから攻撃的になる
<ストーリー>
生まれたのはわずか10か月違い、一心同体のセプテンバーとジュライ。我の強い姉は妹を支配し、内気な妹はそれを受け入れ、互いのほかに誰も必要としないほど強い絆で結ばれている。しかし、二人が通うオックスフォードの学校でのいじめをきっかけに、姉妹はシングルマザーのシーラと共にアイルランドの海辺近くにある長年放置された一族の家<セトルハウス>へと引っ越すことになる。新しい生活のなかで、セプテンバーとの関係が不可解なかたちで変化していることに気づきはじめるジュライ。「セプテンバーは言う──」ただの戯れだったはずの命令ゲームは緊張を増していき、外界と隔絶された家の中には不穏な気配が満ちていく……。
――監督が原作で惹かれた部分や情景について教えてください。
アリアン・ラベド監督(以下、ラベド監督):まず2人の姉妹、彼女たちにとても惹かれました。10代の女の子がここまで複雑で、深みを持ち、そして時には笑ってしまうような面白さを持って描かれているフィクションに、私はこれまで出会ったことがなかったんです。そういう意味で、まず主人公の2人に惹かれ、恋に落ちたというのが大きかったですね。
もう一つは、デイジー・ジョンソンの世界観そのものです。原作は、私たちの日常の中で起こっていることを本当にうまく取り入れていて、非常に自然であると同時に、形而上的、つまりメタフィジカルな感覚もありました。そこがすごく魅力的だと思いました。
――セプテンバーとジュライを見ていて、「こういう子いたよな」と思ったんです。少し表現が難しいんですが、胸糞悪いというか、いわゆる「意地悪な子」。2人の間にいびつな支配関係があるように感じました。そうした点は監督ご自身の体験と重なる部分があったのでしょうか?
ラベド監督:2人の姉妹の関係性については、原作にすでにクリアに描かれていました。どんなダイナミクスがあるのか、その描写が大きなインスピレーションになっています。
あの2人はすごく極端なキャラクターですが、実は私たちみんなが少しずつセプテンバーであったり、ジュライであったりする部分を持っていると思うんです。脆さもあるし、世の中にうまく適応できないがゆえに攻撃的になったり、暴力的になったりする……。そうした“世の中にフィットできない苦しさや生きづらさのようなもの”が、この物語を通して私自身にすごく訴えかけてきたのだと思います。

© Sackville Film and Television Productions Limited / MFP GmbH / CryBaby Limited, British Broadcasting Corporation, ZDF/arte 2024
「良き母」でも「悪い母親」でもなく…
――母と娘の関係性の描かれ方もとても印象的でした。母と娘というテーマは重要なものだと思うのですが、親子関係を描く上で意識されたことはありますか?
ラベド監督:とても意識しました。ただ、母親を一方的に「悪者」として描いたり、逆に慈しみに満ちた「理想の母」として描いたりはしたくなかったんです。むしろ複雑さを表現したかった。おそらくそれが現実だからです。
母親もまず一人の女性であって、ベストを尽くそうと努力している。映画の中の母親はシングルマザーで2人の子どもを育てています。それだけですでに大変な状況ですが、良い母になろうと必死にもがきながらも、思うようにはいかない。そんな複雑さをきちんと描きたいと思いました。
彼女には優しさや愛情深さもある一方で、時には冷酷だったり、不器用だったりもする。「良い母親」とは何なのか、実際のところ誰もよくわからないと思うんです。だからこそ批判せずに、一生懸命トライしている姿を描きたかった。
映画を見ている最中は「なんでこの母親はこうなんだろう」と批判的に感じた人も、最後には彼女がそうせざるを得なかった理由が理解できると思います。「良い母」か「悪い母」かで線引きするより、もがきながら生きている姿を描くほうがずっと面白いと考えています。

© Sackville Film and Television Productions Limited / MFP GmbH / CryBaby Limited, British Broadcasting Corporation, ZDF/arte 2024
「消費される女性像」ではなくリアルな女性を描くということ
――「良い母」「悪い母」というお話が出ましたが、日本では「良き母であれ」「良き妻であれ」「良き娘であれ」というような、特に女性への役割への期待が非常に大きいと個人的にも感じています。監督はギリシャやイギリス、フランスなどさまざまな文化圏に住んでこられましたが、母や女性に対する期待や役割によるジャッジは、やはり社会的に強いと感じられますか?
ラベド監督:そうですね。私は日本のことは詳しくないのですが、多分どんな社会にも母への強い期待は存在すると思います。私は母親ではありませんが、自分の母を見てきて感じたのは、母であることや母性に自分を合わせていくのは大きな葛藤が伴うということです。そして「女性とはこうあるべき」という社会的な理想像に合わせていくのも、同じように葛藤がある。
どんな文化でも母や女性への期待や規範はありますが、多くの場合、それはあまり現実的ではありません。多くの社会は家父長的で、女性に特定のルールや重荷を課すことが多いです。中には(女性が)「歌ってはいけない」「声を上げてはいけない」といった厳しい制約がある文化もあります。程度の差こそあれ、女性への重荷、特に母親への期待は世界中にあると思います。
だからこそ私は、そうした固定観念とは違う描き方をしたい。複雑さを描き、ヘテロセクシュアル男性のためだけに消費される女性像ではなく、実際に存在する女性の姿を描くことが大事だと思っています。
――女性は常に何かしらのジャッジを受けていると感じています。役割もそうですが、「美人かそうでないか」というルッキズムもそうです。媒体で記事を出すときに見出しを作る必要があるのですが、なるべく役割やジャッジを含まない見出しにするように意識しています。そうした“ジャッジからどう逃れるか、どうすり抜けるか”というのは、ウートピでも大事にしているのですが、監督のテーマでもあるのでしょうか?
ラベド監督: 私もキャラクターを複雑な存在として描きたいと思っています。いい人か悪い人か、美しいか醜いかといった単純な判断ではなく、観客には思考ではなく肉体を通じてキャラクターを感じてほしいんです。つまり「この人はこういう人だ」と考えるのではなく、その人になったつもりで出来事を一緒に経験してほしい。そうすると「この人はいい」「この人は悪い」と非難する余地がなくなり、人間として高められるのではないかと思います。
私の映画に出てくる女優たちはメイクアップをしていません。グラマラスにも、性的にも描いていません。とても生々しく描いています。それによって、ハリウッドが提示してきたものとは違う美しさや優しさを見せられるし、少し“汚い”部分も含めて、私たちの実際の姿に近づけると思っています。

© Sackville Film and Television Productions Limited / MFP GmbH / CryBaby Limited, British Broadcasting Corporation, ZDF/arte 2024
「あ、この人だ」とわかる瞬間 キャスティングという瞬間
――セプテンバーとジュライ役のお二人を起用する際に意識したことや、期待したこと、現場でのサポートについて教えていただけますか。
ラベド監督:キャスティングには1年ほどかかりました。インド系の役者を探していたのですが、残念ながら候補がとても少なかったこともあって時間がかかったんです。キャスティングというのはとても不思議で、探しているときは自分でもどういう人を求めているのかわからないのですが、その人に会った瞬間に「あ、この人だ」とわかる。マジカルな瞬間があります。
彼女たちに出会って私がやりたかったのは、これまで身につけてきた“10代の女の子ならこう振る舞う”といった社会的な仮面を剥ぎ取ることでした。2人はとても優れた女優だったので、それを自然にやり遂げてくれました。もっと肉体的に、動物的になりたいと思い、ゴリラになってみる、鳥になってみる、犬になってみるといった遊びを通じて、この家族の身体性やリズムを探っていったんです。そうして社会的に身につけた振る舞いを取り除くことがゴールでしたが、2人はすぐに順応して、とても自然にできました。
――次回作については何か考えていらっしゃいますか。今後ずっと考えていきたいテーマなどがあれば教えてください。
ラベド監督:ここ数ヶ月は女優業に専念していて、脚本を書く時間を見つけなければならない状況です。次にやりたいことについては、だいたいのアイデアはありますが、まだはっきりとはしていません。ただ、多分また女性だけのキャラクターになると思います。今は女優業に集中しなければいけないので、それ以上はまだ考えられていないんです。
映画は渋谷ホワイトシネクイント、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほかで全国公開中。
(聞き手:ウートピ編集・堀池沙知子)
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情報元リンク: ウートピ
ジャッジをすり抜ける…「消費される女性像」ではないリアルな女性を描くということ【インタビュー】