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いつの間にか親からの期待に応えすぎていた…元バチェロレッテ・武井亜樹が経産省を辞めた理由

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恋愛リアリティー番組『バチェロレッテ・ジャパン』シーズン3への出演で知られる武井亜樹さん。東大卒で元経産省の官僚などという経歴を持つ武井さんですが、現在はフリーランスとして宇宙関連プロジェクトに関わりながら、執筆や情報発信の仕事にも携わっています。そんな武井さんが、自身の半生を綴(つづ)ったエッセイ『自分だけの輝く人生のつくり方』(Gakken)を出版しました。執筆の経緯など武井さんにお話を伺いました。

「こんな生き方もあるんだ」と思ってもらえたら

──初のエッセイ『自分だけの輝く人生のつくり方』の執筆の経緯をお聞かせください。

武井亜樹さん(以下、武井):もともと小さい頃から伝記を読むのが好きで、いつか自分の人生も物語として残したいと、ぼんやり考えていました。というのも、私の周りにはロールモデルになるような大人があまりいなかったので、伝記を通して「こんな生き方もあるんだ」と勇気をもらっていたんです。だからいつか、自分のストーリーが「夢を持ちたい」「周りに馴染めないけど頑張りたい」と思っている人たちに届いたらいいなと願っていました。そして、『バチェロレッテ』に出演したことをきっかけに、その思いをようやく形にすることができました。

影響を受けた祖父と母

──武井さんが子供の頃、周りと違うことで“生きづらさ”を感じていたと書かれていて意外でした。群馬の公立高校でアメリカに留学することが珍しい環境でよくその選択肢を思い浮かべられたなと。武井さんが影響を受けた人物などいたのでしょうか?

武井:一番は祖父ですね。祖父は会社員でしたが、本当は博士号を取って研究を続けたかった人で、東北大学に通いながら科学を学んでいました。時代的にそれが叶わず就職したけれど、ヨーロッパが大好きで、よく旅行にも行っていました。明るくて陽気で、でも科学や自然が好きで、家には百科事典がずらっと並んでいたんです。

小さい頃、私が「これは何?」「どうして?」と聞くと、祖父はどんな質問にも丁寧に答えてくれました。自然科学でも歴史でも、レポートみたいにまとめてくれて。だから私は、知的好奇心を持つことを肯定してもらえる環境で育ちました。周りの先生からは「変わってる」と言われたり、煙たがられたりもしたけど、祖父が「それでいい」と言ってくれたから、自分の興味を伸ばしていいんだと思えたんです。

あとは、母が教員だったことも大きいと思います。母の周りには教員の方が多くて、いろんな生徒を見てきているから、物事を全体的に俯瞰して見ることができるんですよね。 だから、「亜樹ちゃんみたいに一見浮いてる子とか、ちょっと個性的な子って、実はすごくいいところがあるよね」とか、「そういう子があとで大きなことを成し遂げたりするんだよね」って、よく言ってくれていました。

母も、「亜樹はそういうところが面白いよね」って、私の“変わっているところ”を受け入れてくれていた。そうやって理解してくれる大人が身近にいたから、たとえ学校の先生たちが私のことを分かってくれなくても、「この人たちがわかってくれないだけで、きっと大人になったら花が咲くんだろうな」って、どこかで思うことができました。

Gakken提供

好きなことをできているのは「小さい頃の私のおかげ」

――やっぱりその選択は間違っていなかったと感じますか?

武井:自分には、いつも二つの選択肢がありました。ひとつは、自分を変えて周りに合わせること。もうひとつは、浮いてしまうことを覚悟してでも、自分らしさを貫くこと。
何かあるたびに「どうしよう」と悩みながらも、結局はいつも「自分らしくいたい」と思って後者を選んできました。 そうして選び続けるうちに、少しずつ強くなって、めげずに前へ進めるようになっていったんだと思います。今こうして自分の好きな仕事ができているのは、あのときつらい思いをしながらも頑張ってくれた“小さい頃の私”のおかげだなって、すごく感じます。

いつの間にか「家族が喜ぶ選択」をしていた

──そんな武井さんが、経産省への入省を決めた際に「いつも家族が喜ぶ選択をしてきた」と気づいたエピソードが印象的でした。家族の期待に応えすぎて苦しくなってしまう……というのは思い当たる人が少なくないのでは? と。

武井:私の両親はとても保守的で、特に父は典型的な昭和のお父さんでした。私は自由を好むタイプだったので、考え方はまったく違っていました。

それでも、私は父のことが大好きで、喜ばせたいという気持ちが強かったんです。子どもの頃は、宇宙のほかにもキラキラしたドレスやハリウッド映画など、いろいろなことに興味を持っていました。でも、父がいちばん嬉しそうにしていたのは、私が「宇宙飛行士になりたい」と言ったときでした。

そうやって無意識のうちに「家族が喜ぶ選択」をしていたことに、経産省に入ってから気づいたんです。あるときふと、「もしかしたら私、自分の意思だと思っていたことの中に、“親が望むこと”が混ざっていたのかもしれない」と思いました。

経産省に合格したときは本当に嬉しかったのですが、実際に働いてみると「なんだか、私が本当にやりたいこととは少し違うな」と感じることが多くて。 そのときに、「そういえばこの道を選んだのも、親に勧められたからだったな」と思い出したんです。気づかないうちに、少しだけ親のせいにしていたのかもしれません。

そして、今後も大変なことやつらいことがあったときに、人のせいにしたくないと思いました。自分で選んだ道なら、どんなに苦しくても自分で責任を持ちたい。今から思えば、その頃が親から精神的に自立するタイミングだったのかもしれません。

武井亜樹さん

Gakken提供

経産省を「辞める」と決めた理由

――「経産省を辞めた」という決断も、その延長線上にあったのでしょうか?

武井:そうですね。ある意味、「やめる」という行為は私にとっては、メタファーというか、私はけっこうドラマチックに物事を考えるタイプなので、この決断を「人生の中で大切な象徴的な行動」として捉えていたんです。「親からの精神的な独立」を示すメタファーのようなものだったのだと思います。

それで経産省を辞める前に、親にこう伝えたんです。「今まで自分の意思でやってきたつもりだったけど、実はお父さんとお母さんの考え方の影響を強く受けていた。でも、これからやりたいことは、二人の見てきた世界とは違う。だから自分で考えて、自分で選びたい。でも一緒にいるとまた心が揺らいでしまうから、半年間だけ離れさせてください」と。

それで本当に半年間、連絡を取らずに過ごしました。経産省を辞めることも、自分で決めました。

――ご両親の反応はいかがでしたか?

武井:最初はかなり反対されました。でも、私が「反対されるなら一度距離を置こう」と決めて実際に行動したことで、両親も「反対したら亜樹が離れてしまう」と感じたようで、そこからは完全にサポートしてくれるようになりました。

親のことは本当に大好きで、大切で、とても身近な存在なんです。だから、自分のしたことで喜んでくれたり、幸せそうにしてくれたりすると、やっぱり嬉しい。

――大事な存在だからこそ、相手の気持ちを察して期待に応えすぎてしまう。結婚や子供を産むことについても周りの気持ちを優先してしまう人は少なくない気がします。「親に孫の顔を見せてあげたい」とか「(本当は結婚したくないのに)結婚していない私は親不孝」とか……。

武井:そうですね。ただ、親との関係を良いまま保つためにも、「意思決定のときに親を入れない」ことがすごく大切だと思うんです。

たとえば、「本当は東京にいたかったけど、親のために実家に戻る」といった選択をしたとします。でも、何年かあとに「もしあのとき親のために戻らなかったら、違う人生があったかもしれない」と思ってしまう瞬間が、きっと来る。そうすると、知らず知らずのうちに親や家族のせいにしてしまう。それってやっぱり悲しいことですよね。

だからこそ、意思決定の第一優先は、自分の「やりたいこと」に置くべきだと思います。そうしないと、一番大切な人を逆に恨んでしまったり、「こんなにやってあげたのに」と思ってしまったりするかもしれない。

経産省で働いていたとき、まさにそれを感じました。仕事自体は楽しかったけれど、「本当はもっとやりたいことがあったのに」と心のどこかで思ってしまったんです。もちろん、親に悪気があるわけではありません。だからこそ、関係を良く保つためにも「自分の決断」と「親への思い」をきちんと切り分けて考えることが大事だと感じました。

――親のために何かをすることが悪いわけではなくて、「私がしたいからすることかどうか」を意識するということでしょうか?

武井:そうです。そうやって切り分けておくことで、将来に関わるような大きな決断はしっかり自分の意思でできるし、そのうえでできる範囲で家族も大切にできる。 今は、そうしたバランスの取り方がとても大切だと感じています。

武井亜樹さん

Gakken提供

情報元リンク: ウートピ
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